真宗佛光寺派 本山佛光寺

家族の絆を考える

こころでほろぶ

これからの家庭はどうなっていくのか、最近の事件で親が子を殺し、子が親を殺すなど聞くにつけ、ふと私の家庭は?子どもたちや孫たちの時代は?と不安がよぎります。

 無邪気にはしゃぎ回っている犬のチャチャが、お座りして首をかしげながら、私に語りかけます。「人間とは、何とわけの解らない悲しい生き物なんでしょう。でも私にはこの家庭しかありません。大好きです。信じていますよ」

 

失われる「いのちへの眼」

 戦後、私たちは食べるにも、こと欠くほど貧しい生活を送っていましたが、国民の努力によってわずか半世紀足らずで物があふれる飽食の時代を迎えることになりました。ペットさえ生活習慣病にかかるほど食料にあふれ、品揃えも豊富で、買うのにもひと苦労します。

私たちの食料で26%は残飯として捨てられているといわれ、それだけの食料で世界の飢餓に苦しむ人がどれだけ助かるか、目を向ける人は少ないように思われます。他者への気遣いがはたらかない状況が生まれています。

 またこの豊かさは、実は他の動植物の命をより多く奪うということになります。その結果、人はいのちを見る眼を無自覚のうちに鈍化させ、いのちをいのちと感じることなく、ひたすら我欲追求に突っ走るようになってしまいました。

 教育者であり念仏者の東井義雄さんはいわれます。

教育においては、貧しさより豊かさのほうが恐ろしい。

貧しければ物を大切にし、他者に気を遣いながら、よく考えて行動しますが、豊かになれば物を粗末にするばかりか、他人の気持ちをおもんばかることもなく、勝手気ままに行動するようになるといわれます。ゆえに豊かになればなるほどいのちを粗末にすると指摘されるのです。

このいのちを見る眼を育ててきたのが、仏法でした。食前の「いただきます」という合掌の姿は、他のいのちをいただいて、今の私があるという表れです。これが感謝の心です。

  カニを食べた

  カニの一生を食べてしもうた

  カニにもろうた私の今日のいのち

  芋を食べた

  芋の一生を食べてしもうた

  芋にもろうた今日の私のいのち

  そう思ったらお念仏がこぼれてやまぬ

念仏者である北海道の島本邦子さんの詩です。

当り前と思って口にするすべてが、私のいのちとなってくださる。お陰さまの中に生かされている私なのに、お粗末な生き方しかしていなかったと、気づかされるのです。

 

<速さ>は視野を狭くする

 一方、豊かさや利便性を追求すれば、煩わしい人間関係を保つ必要もなくなっていきます。地域社会の付き合いは敬遠され、家庭にあっては別居や離婚に拍車がかかるといわれます。また核家族化は人間関係が狭まり、幼児虐待、ドメスティックバイオレンス(DV)等の人権侵害を生み出すといわれます。子どもたちは家に閉じこもり、ゲームやネットに溺れていきます。

 子どもの躾で、よく親は「早くしなさい、早く。なぜできないの?」と、叱咤し続けました。これは親の忍耐力が欠けたためと言われています。また豊かさは速さを求めます。速さは視野を狭くします。視野の狭い親に叱咤され悲観されて、応えていけない子どもたちはどうなってしまうのでしょうか。「さあ、ゆっくりと歩もうね」と呼びかけられない親たちの現実、まことに悲しいことです。

 先人が築いた苦労とか忍耐という心は、まさに消えようとしています。苦労に耐えて生き抜いた家の歴史や文化が伝わらない状況です。まさに「無明の闇」を深める家族がますます増えてくるのでしょう。実は、この暗き闇の只中にいることすら気づかないという闇を抱えているのが、現代の私たちなのです。

 

無明の闇を破る

 「物で栄え、心で滅ぶ」といわれて久しいわけですが、このような煩悩を煽る社会状況の中で、踊らされない自立性を確保することこそ、家庭における大事なことです。

ところが、貪欲・瞋恚・愚痴という煩悩に振り回されている自分にめざめることは容易ではなく、自らの力ではできないものなのです。仏法という鏡に映し出されないと、真実というものにはめざめられないのです。そのことを親鸞聖人は『歎異抄』において、

 「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」

と、ご述懐されておられます。わが身の姿、社会の姿はみな虚妄であり、念仏こそ真実であるという深い認識は、真実の念仏に出遇ってこそ、わが身、わが家庭のありよう、社会のありようが映し出されてくるのでありましょう。闇と知る以外に、闇を破ることはできません。闇とも知らず闇のまま一生を終えていくならば、それこそ空しい人生を送ることになります。

「めざめよ、めざめよ、そうでないと人間を失うぞ」と、喚びかけ続けておられる仏さま。この大いなるはたらきに頷くことで、闇が破られるのです。一人ひとり、この仏さまの喚びかけを聞くことこそ、家庭に伝承されてきた絆なのです。核家族となった現代にこそ大切なことです。

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