今月のともしび
常照我
イラスト 岡山県真光寺住職 守城尚子さん
(略歴)成安造形大学メディアデザイン領域CG・アニメーションコース卒業。株式会社ピーエーワークスに約三年勤務。退職後に岡山県真光寺住職を継職。現在は、放課後児童クラブ支援員、イラストレーターを兼業。
冷蔵庫のブロッコリーに幼虫が隠れて生きていた。生命力に感動し、何の幼虫かわからないままにケースで飼うことにした。
土を入れたりして環境を整えると、虫は野菜をもぐもぐと食べて段々大きくなっていった。
特に良く動いていたその午後、突然ケースの中から姿が消えた。どうしたんだろう? 妻は案じて幼虫のことばかり気にしている。
野菜の中に入ったか、土に潜って冬眠でもしたのだろうか。
気にもとめないはずの虫一匹が、数日関わったことでこんなに心配になるとは……。
仏の慈悲とは、いのちに対する「深い関心」であると聞いた。関心をもって向き合うとき、いのちはかけがえない存在となる。
私は仏に無上の念いをかけられ続けている。その念いの深さを幼虫に教えられた私であった。
(機関紙「ともしび」令和7年1月号 「常照我」より)
御親教
門主 渋谷 真覚
日毎に秋も深まり、朝晩の冷え込みも厳しくなってきた中、本日は御正忌報恩講に、ようこそお参りくださいました。
本年は元日から能登半島において最大震度七の大地震が起こりました。大きな被害があった奥能登地域は、再び豪雨という自然災害に見舞われ、また日本各地で十月に入っても三十度を越える暑さによって様々な被害がもたらされました。
世界に目を向ければウクライナ侵攻、中東問題など、武力紛争は激しさを増すばかりで、世界各地で緊張関係が続いています。
また気候変動による自然災害は困窮した国ほど復旧は遅れ、政治は国家機構の私物化、不正な経済利益による特権の乱用等、特に社会的弱者にとって、先の見えない不安を抱えて日々の生活を暮らしています。
今日私たちは様々な問題を抱え、悩んだり苦しんだりして日々を過ごしています。その原因の多くは、自分中心的な生き方ではないでしょうか。その自己中心の見方に立てば、常に他と対立し、競争するようになります。
親鸞聖人は『高僧和讃』の「曇鸞讃」に、
無礙光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこおりとけ
すなわち菩提のみずとなる
とお示しくださいました。
阿弥陀仏の無礙光は、自分中心で煩悩の塊である私のかたくなな思いを照らし出してくださるのです。その時私の、氷のような冷たくかたくなな心が懺悔され、柔らかな広やかな心が芽生えてくるのです。
仏の教えに出遇えば、氷が融けて水となるように「憎しみや恨み」の心は無くなりませんが、そのまま「おかげさま・ありがとう」の世界に自然と転じられ、景色が変わるように、生き方までもが変わってくるのです。
お念仏のみ教えを聞き阿弥陀仏の無礙のみ光に照らされつつこの人生を歩みたいと願っています。その歩みの中で皆様と共に仏法讃嘆させていただきたいと願うところです。
本日はようこそお参りくださいました。
年頭のご挨拶
宗務総長 八木 浄顯
新年を迎え、お内仏の前にてご家族お揃いでお参りされ、新たな歩みを始められたこととお慶び申し上げます。
昨年の正月には能登地方を震源とする地震が発生しました。親鸞聖人が生きた平安から鎌倉時代の一一八五年の琵琶湖西岸断層地震(現在の調査でほぼ確証)について『方丈記』には「山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は三ヶ月にもわたって続いた。」とあります。時代は違い現代はインフラ整備も整い、医療など社会事情は当時とは雲泥の差がありますが、自然災害や死はいつも隣りにあるのは変わりません。
さて、昨年の博報堂生活総合研究所の生活者調査(十五歳から五十九歳)によると、日本・中国・ASEAN諸国で「自分の将来イメージは暗い」と答えた日本人は四〇%に上り、二位のシンガポール十四%と比べると突出して多いことがわかりました。人口減少や、年金への不安等暗い話題であふれていることが原因と言われています。何も求めなくなるほど前に広がる暗さや不安を感じるのでしょう。
私たちの生活は、AIをはじめとするテクノロジーの発展により、想像もつかないほど便利になりました。幸せを求めての科学技術発展や、健康で長生きの医療の進歩が、人の将来の希望につながっていないのです。親鸞聖人の時代から八〇〇年、現代の生活は豊かになりましたが、幸福度が増大したとはいえないのではないでしょうか。
ご門主様は、昨年の御正忌報恩講の御親教で『曇鸞讃』の
無礙光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこおりとけ
すなわち菩提のみずとなる
のご和讃をお引きになりました。
仏の教えに出遇えば、氷が融けて水になるように「おかげさま・ありがとう」の世界に自然と転じられ、景色が変わるように、生き方まで変わるとご教示くださいました。
自分という小さな知恵を拠り所にするのではなく、量ることのできない無量のいのちに支えられ(他力)ていることに合掌「南無阿弥陀仏」してまいりましょう。そこにおいて人のぬくもりが生まれ、光が見えてくるのではないでしょうか。
本山におきましては時代に即応したみ教えを聴く場「僧伽に学ぶ」研修会を開催してまいります。私たちを常に慈しみ育む光の中、一座でも多く聴聞していただけることをお念じ申しあげ、年頭のご挨拶とさせていただきます。