時事法話
難度海
2024年7月
五月末、全国坊守会連盟地方大会が大阪において、また勝友会布教大会が新潟教区の広福寺を会所に開催された。コロナ禍により、それぞれ六年ぶり、五年ぶりの開催であった。
寺院の様々な行事は、コロナ禍前の規模での開催が難しい状況が続いている。それにもかかわらず、この度の坊守大会には全国各地より八〇名を越える参加があり、布教大会には五五名の布教使と多数のご門徒が参集し、本堂は一〇〇名以上の聴衆であふれんばかりの賑わいであった。
全国坊守会連盟地方大会では意見交換会が特に活況で、周りのグループの声にかき消され隣の方の発言が聞き取りにくいほどの盛り上がりをみせた。二日目は風雨に見舞われたが、急きょ車での送迎を行うなど大阪教区坊守の皆様の臨機応変な対応によって、予定通り大阪別院へ参拝。教区のエネルギーとおもてなしの心が発揮された大会となった。
勝友会布教大会は、四人の布教使が五年間温めてきたご法話だっただけに、熱のこもった一言一句が聴衆をひきつけた。なによりも皆で集えるなつかしさは格別なもので、僧伽を形成し聞法できる感動と喜びをひしひしと感じる大会であった。
念仏の大道は、共に念仏の道を歩む友や師によって成り立つ。「正定聚の位に住す」とは、まさにそのお仲間入りをさせていただくことである。一人では決して歩むことができない道を、はかりしれない力をいただいて、今、歩ませていただいているのだとあらためて教えられた。
2024年3月
元日から能登半島を中心に襲った地震は震度七。石川県での住宅被害は六万五千棟を超えた。被害の大きい輪島市・珠洲市は復旧の見込みも立たない状態で、亡くなった方は二三八名(一月三一日時点)、災害関連死はまだまだ増える傾向にある。
佛光寺派福井教区・新潟教区も被災され、特に新潟市西区の被害が大きかった。本堂に被害を受けた御寺院や、家に住めなくなり転居した御門徒もおられる。
この苦境の最中に、はたして念仏の教えは力になるのか。いや苦境だからこそ念仏の教えが必要なのだ。念仏申して生きてこられた先人たちは、このような苦難を幾度となく乗り越えられた。
その生き抜く力を親から祖父母から、また地域の方々から教えられている。苦境に立てば立つほど、真宗門徒は仏法を聴聞しその苦難を乗り越えてきた。その先人の苦難の魂を聞くのがまた聞法である。
苦難の歴史を乗り超えた証明が弥陀成仏。そして弥陀に成られた法蔵の魂が、この苦難を通して今、私と成ってはたらき出す。
念仏の教えに生きる力を体現できるのは「今」、「ここ」に生きている「私」なのである。
2024年1月
御正忌報恩講の通夜布教。一一月二七日の晩、熱のこもった七名の布教使の説法獅子吼と、熱心に耳を傾けられる聴衆の熱い姿勢で、底冷えする大師堂に温もりさえ感じる法座となった。
ある布教使より「人は生まれた瞬間、必ず病気になり、必ず老いていきます。
生まれた時から死のカウントダウンが始まっているのです。
生と死との共在、共存の中で今を生きている。不思議な因と縁との偶然の重なりの中でいのちをいただいている」との言葉があった。
生は偶然、死は必然。得難い人間としての身をいただき、様々なご縁の中で生かされていることを当然の事としている私。無明の闇を破る、智慧の光明こそが、当たり前に生きている自分を打ち砕いていく。
通夜布教が明け、御満座。仏法聴聞のご催促が私の姿勢を正させる。