お話
私のいのち
私たちが「いのち」という言葉を耳にしたとき『命あっての物種』という言葉があるように、何事も命あってのことで、死んだらおしまいといわれる「いのち」を思うのではないでしようか。
【南無阿弥陀仏は私のいのち】
基本理念の中に「私のいのち」という言葉が出てきます。ひとくちに「私のいのち」と言いましても、あらためて「私のいのち」とは何なのかと問われると答に窮します。
私たちのまわりには「これは誰のものか?」と問われると「私の…」と答えなければならないことが数多くあります。
「私の…」という言葉は、その『もの』が自分の所有物である、私物であるということを明らかにする言葉です。
しかし「私のいのち」は私のものでしょうか。
ある二十歳の女性が大恋愛の末、失恋してしまいました。目の前が真っ暗になり、支えとしていたものが崩れたショックに、生さる気力さえ失いました。
「こんなことなら、自殺するしかない…」
そう考えた彼女は心身を整え、大好きだった彼の写真、思い出の品々を処分し身辺の整理をし始めました。
楽しかったこと、嬉しかったことが頭の中をかけめぐります。
部屋を片付け、衣服を整え、台所からはコップ一杯の水。
「お父さん…お母さん…さようなら…」
こぶしいっぱいに握った睡眠薬を□に含もうとした瞬間、その女性はハッとします。
「三日前に切ったはずの爪が、もう伸びている。死のうとしている私の意思に反して、この爪は、こんな私を生きよう生きようとしている…」
その一点に気づいた瞬間、握っていた睡眠薬が手からこぼれ落ち、その場に号泣したといいます。
私に賜った「いのち」は「私の…」という私有化を許さない、自我意識で解釈した命を超え出たものでありました。
ところで、私たちが一般に理解している「いのち」は「命(みょう)」、つまり「量的ないのち」をまず考えます。
あの人は長生きだ、あの人は短命だ…という尺度です。
経典を繙くと「命(みょう)」の他に、もうひとつ「いのち」と読ませる漢字があります。
「寿(じゅ)」。これは「量的ないのち」に対して「質的ないのち」を指します。
たとえば、八十歳という年齢を聞くと「八十年間のいのち」と思ってしまいますが、そうでしょうか。
確かに、この世に生を受けてからは八十年でしょう。しかし、この私が生を受けるまでには、量り知れないいのちの歴史がありました。
自分の番 いのちのバトン
相田みつを
父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 こうしてかぞえてゆくと 十代前で千二十四人 二十代前では? なんと百万人を越すんです 過去無量のいのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている それが あなたのいのちです それがわたしの いのちです
「私の…」と自我意識の手中に握り込める程度の水臭いいのちではありません。
つまり、八十歳といえども「八十年間」と限定することは許されないいのち、推し量ることの出来ない遥かなるいのちを、今共に生きているということです。
いま、私にまで届いた「いのち」は「寿なるいのち」に覚めることにおいて、はじめて光を放ちます。
百年生きたお年寄りも、生まれたばかりの赤ん坊も、今日という日ははじめてで二度とやってはきません。
賜った今日一日をどう生きる。「私」という存在は、私の意識を超えたあらゆるご緑の集合体です。
近年、子供を「つくる」という言い方をするお母さんが多くなりました。
しかし、つくられたいのちを生きている人は、誰一人としていません。皆賜わった尊い「いのち」です。
「どうせ、死ぬのだから…」「どうせ、私なんか…」
そんなふうにしか見ることの出来なかった眼が、南無阿弥陀仏の教えに照らされて、「せっかく生きているのだから…」「せっかくの私なんだから…」とひっくり返る。
そうです、私に賜った「いのち」は、自我意識の解釈で了解された「命」までも突き破ってくるものでした。
お念仏の教えを拠りどころとするところに、はじめて私のいのちは、かけがえのないものとして成就するのです。
親鸞聖人は、そのはたらきを「南無阿弥陀仏」というのだと私たちにお示し下さっています。