お話
いま、お寺は
お寺の起こり
北インド地方でお釈迦さまが出家され、覚られ、初めて説法された時には、まだお寺というものはありませんでした。お釈迦さまの真実の話を求めて、人々が集まるようになって初めてお寺が形成されるようになったのです。有名な「祇園精舎」も地元のお金持ちが仏教に帰依し、お釈迦さまと集まって来る人々のために建てられたのでした。このようにお釈迦さまが説法され、立ち寄られた所にお寺が造られていくようになったのです。
その後、仏教は西城から中国・朝鮮半島を経てわが国に伝わるのですが、仏教を国教とした国々では仏教を擁護し、寺院を造営していきました。反面、同じ国でも時代によっては廃仏毀釈を断行し、仏像や建物を破壊し経典を焼き捨てたこともありました。
わが国に初めて仏教を取り入れられた聖徳太子は、法隆寺や四天王寺などの寺院を国家事業として建立され、仏教の精神で国を治めようとされました。太子の死後一旦排斥された仏教は、奈良仏教として開花し、大仏殿として結実しました。しかし、僧侶が政治に口出しするようになり、仏教教団は次第に堕落していくことになります。奈良から京都への遷都を契機に伝教大師が比叡山に天台宗を、弘法大師が高野山に真言宗を開きました。わが国の仏教の主流は奈良の寺院から山岳仏教に移るのです。
真宗のお寺
人里離れた山中での修行は仏道の原点に戻る意味では有効でしたが、僧侶の仕事は鎮護国家と貴族の病気平癒のための祈祷であり、仏教は相変わらず一般大衆から遊離したものでした。しかし、平安時代末期になると山を降りて一般大衆に仏教の救いを説く僧侶が続々と現れました。世に言う鎌倉仏教の祖師たちです。お釈迦さまの時代と同じ在家仏教が誕生することになったのです。そのお一人が親鸞聖人であります。
親鸞聖人は、流罪の地にあっても、生活の場、仕事の場で「南無阿弥陀仏」のお話をされて行かれました。時には野良仕事を手伝いながら、時には炉端で囲炉裏を囲み、栗粥をすすりながらお話をされたようであります。そして、大勢集まってお話をされる場合は、近くのお堂を借りて「名号」を掛けてお話をされました。親鸞聖人亡き後は、聖人面授の弟子たちを中心に法義相続が行われ、その集まる建物が「聞法道場」「念仏道場」として維持され、今日の真宗寺院が形成されてきたのです。
お寺のある風景
上りの新幹線が京都駅を出てしばらくすると、車窓から近江平野に点在する小さな集落が目に飛び込んできます。その集落には必ずといってよいほどお寺が建っています。時には二、三ケ寺ある集落もあります。お寺が地域社会に溶け込んでいるのがよく分ります。親子、夫婦喧嘩、家庭の問題等もお寺に持ち込まれ、お寺はその地域住民の人生の指標、人生問題の解決の場としてより身近であったようです。本来、仏教は自分を習う宗教です。とりわけ、真宗は聴聞第一、「南無阿弥陀仏のおいわれを聞け」といわれますが、それは「本当の自分の姿を照らし出す智慧の眼を頂きなさい」ということです。その場所が聞法道場つまりお寺ということです。その役目は今も変りませんが、時代背景の変化もあって昔のようにはなかなか行かないようであります。
地域の中で
それでは、今そしてこれからの時代、お寺はどのようにあるべきでしょうか。
ある都市寺院の裏手にある市の職員住宅跡地のことです。次の使用目的が決まっていないことを幸いに、貴重な公有地を有効利用するため、またマンションの無制限な林立に歯止めをかけるため、そこに室内温水プールと小ホールの建設を要請する運動が立ち上がりました。もう三年を経過しますが、その運動の世話人会の会議所に、そのお寺が使われています。住職夫妻も参加して、職業的に多士済々の世話人たちは、活発に運動を展開しつつ、「お寺で会議所を貸してくれるからありがたい」「お寺って落ち着くんですよね」「本来、お寺ってこういう風に地域と密着しているもんなんですよね」と好意的にお寺を再評価してくれているということです。そのうち、「念仏ってどういうものなんですか?」など、み教えに直結する質問が多くなったそうで、こうなれば、お寺本来の役割が回ってくるわけです。
また、要請の実現に向けて、世話人会はアンケート調査、署名運動、市長交渉などを行いつつ、そのお寺の境内で二度のフェスティバルを開催し、神社のお祭り顔負けの盛況と動員力を見せています。開かれたお寺の一例といえます。
お寺を「場」として周辺住民の方々に提供し、親しみを憶えてもらい、お寺の「良さ」を見直していただくことが求められています。
お寺と若い世代
先日、門徒さんの家族だけでの法事の席で、若い兄弟がお勤めの合間に『南無阿弥陀仏ってなんですか 』と素直に聞いてこられました。『仏さまの言葉です。仏さまの心です。仏さまは色も形も見えませんが、南無阿弥陀仏の言葉、声となって私たちと遇うことができます。「南無阿弥陀仏」の言葉を開くと、慈悲と智慧との内容です。慈悲は私たちの「苦」を慈しみ悲しまれる心、智慧は私たちの苦を抜き、念仏を歓ぶ手立てとしての働き。それは限りない寿と限りない心を持つ方から、全てに限りある私たちへの仏徳であります。今、拝読している浄土三部経には「南無阿弥陀仏」の徳が書かれています。法事は先立たれた人をご縁として、残された者が仏徳を讃嘆する場所であります』と答えますと、『へえーそうなんですか』と目を輝かせていました。
核家族化が進み、以前のような信仰環境が崩れ、環境不足になっているのは否めないことでありますが、人生の色々な問題を如何なる世代も答えを探しているのでしょう。その解決の糸口となる場がお寺であろうと思います。