真宗佛光寺派 本山佛光寺

2020年の時事法話

難度海

2020年10月

 秋から冬。各地のご寺院で報恩講が勤まる頃である。感染症対策に苦心しながら、お同行と一堂に集えることがこんなに貴重であったか、しみじみと知った。この意味では、コロナは師であり、良きご縁である。お同行が真摯に聴聞なさる姿にも、改めて励ましをいただいた。
 限界集落。早くから市街地へ出て行った一人娘さんは、父を亡くした後、全財産の相続を放棄した。空き家は今では小動物の棲み処。大きなお仏壇の前でご法事やほんこさんを勤めたのも遠い昔のよう。一周忌直前に、家具の上に置くお仏壇を迎えてくださったので、いざお参りに。すると、通されたリビングは賑やかな保育所状態。座る場所も定まらず、法事の雰囲気など微塵もないまま、読経を始めざるを得なかった。いかに今まで伝統に甘えていたか、しみじみと知る。法事とは何か、仏壇とは何か、根底からひっくり返された。そして、娘さんの悲しみをたたえた表情からは、宗教の根っこを教えられた。
 コロナ以前に戻りたい、古き良き昔に戻りたいと、果たして望むべきだろうか。厳しかった自粛期間、小さな鉄工所では、知恵を絞って足踏み式消毒スタンドを量産し、数百カ所に納品なさったという。マスクなど作ったことのない刺繍屋さんは、工夫を重ねて東京都知事に送り、テレビに映って評判となったという。私たち、隠れ念仏の先人も、厳しい中を懸命に生きられた。そんな先人を憶念しつつ、難度海であっても、今を生きたい。

2020年7月

 ここ数か月、世界中の人が欲して止まないのは、新型コロナの治療薬やワクチンであろう。病を嫌うのは本能、誰もが感染したくない。悪評も立つ。治療薬がないと感染は死に直結する。死んだら終わりだ。シケた海に譬えれば、波が収まるまで生きた心地がしないようなものである。
 だが、それは冥(くら)い先入観だと教えてくださる声がある。命の長短を問わない無量寿の船がある。荒波は何もコロナだけじゃない、違う波は次々やってくる。波が収まらずとも、この現実を生きていける明るい光の船がある。そう背中で教えてくださった先人がおられる。
 このほど出版された『越後の願生寺安心事件』によって明らかになったのは、食べていくのも厳しい時代の中、命より大切な「安心」を懸命に確かめられた先人の篤いお心であった。コロナから命を守るだけでよいのか、その命の中身が空っぽで虚しくないのかと、厳しい呼びかけをいただくのである。
 「安心」に生きる時、コロナは禍(わざわい)ではない。事実に直面させてくれただけである。確かに、世間の価値観とは違う。しかし、今こそ宗教的な生き方を讃える絶好の機会である。大悲の船に乗って現実の荒波を生きていかれた先人の教えを、胸を張って発信したい。
 私たちは、ご門徒と共に迷い、共に導かれていくほかない。そのためには聴聞しかない。しばらく休止していたお茶所の再開は本当に有り難かった。各地の法座再開の励ましとならんことを、切に願う。

2020年3月

 コロナウイルスという目に見えないものに、世界中が右往左往している。ただ、感染症が流行するのは、今に始まったことではない。いつの時代にもあっただろうし、コレラにかかった人を自坊の裏山に何十人も埋葬したと、私も身近に伝え聞いている。医療関係の方に、インフルエンザと何が違うのですかと尋ねたら、致死率が違いますという。なるほど。私たちはウイルスが怖いのではなくて、死ぬのが怖いのだった。
 先日、藤田宜永という作家が亡くなられた。福井市出身、行年六九歳。新聞に載った奥様の手記によると、肺がんが見つかって以降、不安と怯えだけが彼を支配していたという。一切の仕事に背を向け、文学も哲学も思想も、もはや無意味だ、とまで言いきった時は、奥様も聞くのが辛かったと。そうして迎えた死は、無情であり絶望であり残酷であったと。
 目に見えないウイルスも、先立つ藤田氏も、うららかな陽気を破って、私に死を突きつける。宗祖は、幼くしてご両親と別れられた。法然聖人も、幼くして父のご遺言を胸に刻まれた。念仏の先輩は、きっと仰るだろう。道を求めてほしいと。不安も絶望も、すべてを超える明るい道を求めてほしいと。その願いに、ともに生き、ともに還ろうと。「前念命終 後念即生」というお聖教の言葉や、「信に死し願に生きよ」という曽我量深師の喚び声が、胸に響く。

2020年1月

 御正忌報恩講の通夜布教を拝聴した。その中に、九州の隠れ念仏の歴史に触れるお話があった。念仏者が拷問され処刑されてきた歴史である。角度を変えれば、この世の命を失おうとも念仏に生きられた先人の強烈な歴史である。
 大切な人を不条理に殺められた時、怒りに身を焦がさない人はいないと思う。香港では大規模デモから半年がたち、衝突による死者も出、警察など権力側に報復せよというスローガンが幅を利かせ始めている。では、隠れ念仏という静かな抵抗は、どうして可能だったのだろう。
 九州の弾圧から約三五〇年前、法然門下の念仏者は、時の権力者などから不条理な怒りを受け、住蓮、安楽、善綽、性願という四人を失った。宗祖は、自らも流罪にあいながら念仏に生きられ、『教行信証』の執筆に情熱を傾けられた。きっと、九州の方々の念仏は、宗祖から賜ったものに違いない。宗祖を憶念することによって、ようやく怒りの囚われから離れ、明るさと強さを頂かれたのではないかと思う。
 国連の温暖化対策サミットにおいて、一六歳の女性、グレタ・トゥーンベリさんの声が、世界中の若者の胸に響き渡った。その音色は、経済成長ばかりを優先する私たち大人への静かな怒りであった。若者の間にこだまする抵抗と情熱は、念仏者のそれに似ている。今、私は、不条理に次世代を弾圧する権力者だと訴えられている。弾圧の歴史を念じると、恥ずかしい。

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