真宗佛光寺派 本山佛光寺

真実まことの宗教とは

〈真実の教え〉とは
 昨今、様々な宗教がある中で、何が正しい教えで、何が間違った教えなのかわからなくなっています。真実の教えとは何か?人生を歩むヒント、また道標にしていただければ幸いです。

 真実の宗教とは、見返りを期待するものではありません。
 我々の心の弱みにつけ込んで言葉巧みに不安をあおってくるようなものでもありません。
 誰もが違いを超えて平等に救われていく教えが真実の教えでありましょう。

教え 人として生まれた意味、歓喜よろこびを説く。

ご本尊 阿弥陀如来立像(撮影 藤森 武) ご本尊 阿弥陀如来立像(撮影 藤森 武)

 浄土真宗は、阿弥陀如来がご本尊です。苦悩と悲しみの人生にあって、私たち一人一人の内面にある本来の願いを呼び覚ますのが阿弥陀の本願です。
 阿弥陀如来は、老若男女の区別なく、善悪を選ばず、誰でも必ず救うことを願われ、それを「無条件の救い」として誓われました。その願いを聞く時、人として生まれてきた意味が見出され、生きる歓喜よろこびが開かれてくるのです。

修行 私の修行ではなく、人として生まれた意味に気づいてきた方々の歴史。

 浄土真宗の「無条件の救い」とは、たとえどんな人であっても、地獄に堕ちたり、悪霊に祟られることのないことを明らかにします。いたずらに人を恐怖や不安にかき立てることは、私たちの生まれてきた本来の願いを全面的に否定し、人として生まれてきた歓喜よろこびや、生きる力を喪失させてしまうのです。
 私たちにお念仏を伝えてくださった方々は、阿弥陀如来の願いを信じ、お念仏を称え、聞法され、たとえ苦悩の人生にあっても、いただいた命を力強く歩んでこられました。また阿弥陀如来の願いに救われてきた多くの方々の姿によって、お念仏の教えの真実性が証明されています。

信心 私が信ずるのではなく、阿弥陀如来の願いを聞き、その願いに目覚めるのが真実まことの信心。

 人として生まれてきた本当の幸せとは何でしょうか。生活が豊かで、いつまでも健康で、家族が円満、争いのない世界などをふつうは考えます。しかしそれらは一つも当てになりません。そしてそれを今実現したとしても、いつ崩壊するかわかりません。
 真実の宗教の功徳とは、思い通りにならない現実におかれても、そのことをご縁に阿弥陀如来の本願を信じ、念仏申して生きてこられた方々と出遇い、そしてその仲間入りさせていただくこと。真実の教えに生きる私たちは、諸仏に見護られ、大きな功徳を自然にいただくこととなるのです。

証さとり 人として生まれた歓喜よろこびを身をもって知ること。

 甘い言葉とたくみな誘惑で、自分の願望が叶えられるかのように教えるのは真実の宗教ではありません。それは個々の主体性を見失わせ、自己を崩壊させ、ごまかしの人生を生きていく道でしかないのです。混迷を深め、先の見えない現代社会だからこそ、念仏を申し阿弥陀の本願を生きる。それが一人一人に与えられた人生を存分に生きていくこととなるのです。仏法を聴聞し自己に目覚め、個々に与えられた人生をあるがままに生きる、それが阿弥陀の大悲を生きる身となることであり、そのことを教えてくださるのが真実の宗教です。

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