2019年の時事法話
難度海
2019年11月
ある時、外のサイレンが続けざまに三回鳴った。非常時の合図だ。まもなく、ひとりのおじじが山門の長い階段から顔を出した。お寺が火事だと駆けつけてきたという。ハアハアという荒い息づかい。歩くのでさえやっとの足でどうやって上がってきたのか…。サイレンを火事だと思い、「お寺さん付近の川でボヤ」という有線放送の「お寺」だけを聞いて飛び出して来られたのだった。「よかったよかった」と言ってこぼされた、しわしわの笑顔が私のひとつの原点になっている。
この秋の台風一九号。川の決壊や崖崩れで広範囲が被災し、多くの方が亡くなられた。福島県の親しい方から「断水でお年寄りが困っている。折り畳み式の給水タンクがほしい。できれば百個ほど。できれば水も。」という連絡を受けた。連絡を受けてから二日後、仲間が現地に駆けつけた頃には、水は大口の寄付者によって保管場所にも困るほどになり、我々の水は行き場を失った。無力である。しかし、駆けつけた仲間は大変な歓待を受け、温かい気持ちで帰ってきた。
現在、仲間の若い女性がひとり、現地行きを迷っている。床板を外して洗う、床下の泥をかき出す、家具の泥を拭く、まだまだ多くの手が必要だ。が、不安だろう。基本、無力である。でも、おじじは何かにつき動かされて参じられた。その念仏の先人を念ずる時に湧いてくる勇気を、伝えてみたい。
2019年7月
五月下旬より、寝殿の解体工事が始まった。現場は土ぼこりに煙っている。重機でつまむような荒っぽさはない。棟まで組み上げられた足場を使い、人の手で解体されている。瓦や土は箕に入れて下ろし、梁や束はチェーンソーでこなして、担いで下ろされる。どこか温かい。
寝殿は、一八六四年の元治の兵火以後、あちこちから材木を集め、仮本堂として建てられた。その歴史とご苦労とが、土ぼこりの中から今、姿を現している。束とは違う場所にほぞ穴が刻まれた古材も多い。手斧(ちょうな)の跡もよく分かる。全焼した本山の危機を知って、皆が結束なさったのだろう。古材ひとつひとつが、体温を持っているようだ。役目を精一杯果たし終え、残念ながら折れていた大梁もあった。東本願寺に展示されている、巨木を運ぶための大ぞりが思い出される。
今まで気付かなかったことの、何と多いことだろう。しかも、私の気付きはほんの一部。『仏説阿弥陀経』には「恒河沙数諸仏」と教えられる。砂粒はひとつふたつと数えられるが、その数はとても量り知れない。
諸仏が無量であるだけでなく、大悲は「無倦」と讃えられ、願力は「無窮」と讃えられる。こんこんと湧き出る大悲の泉。私の口から出てくださる南無阿弥陀仏も、その願泉からの賜ものであるとは、何と瑞々しく、何と温かい教えだろうか。
2019年3月
白書院と南書院の間にある中庭から、シジュウカラの地鳴きが聞こえた。二月中旬。葉を落とした木々のこずえに黒ネクタイの可愛い姿を見つけたくてたたずんでみると、寒椿の花に、なんと抹茶色したメジロまで現れた。苔の上を跳ねていたのはシロハラ。昔、じいちゃんたちがよく食べていたヒヨドリと重なって、ぷっくり丸丸と見えてくる。野鳥との豊かなひとときであった。
しかし、これは因と縁とに依るものであり、因縁が消えれば野鳥も去る。消えるものによって、人生の悲しみは救われない。火に焼かれても消えないものは、何か。
宗祖も法然上人も、村のおじじやおばばたちも、あたたかくて深い本願の海に出遇うことによって、退かない安心をいただかれたのであった。遠い過去から伝わる本願力に出遇って初めて、いのちの根を知り、いのちの根を知って初めて、死ねる。本願海へと還ることができる。そして、遠い未来とも、生死を超えて今、つながる。
ある政治学者は、死者はいなくなったのではなく、死者となって存在していると言う。立憲の主体(権力に歯止めをかけているの)は死者であると言う。だから、生きている者だけで多数決をとるのは民主主義ではないと言う。この驚きの言葉も、本願の海からの発信ではないだろうか。本願は、死んでいない。生きている。この確信の中に、慶んで生きていきたい。
2019年1月
昨年は、新しい御門主が誕生した記念すべき年であった。秋の御正忌報恩講においては、大勢の方々のご協力のもと、人生の依りどころを聴聞することができ、ご満座には、慶讃法会に向けての御消息(御門主のお手紙)が全国のお同行に向けて発布された。どれも、数えきれない無量のご縁のおかげである。
昨年は、大きな天災が続いた。当派のご寺院にも被害は相次いだ。そして、御正忌期間中、晴れない霧のように胸を締め付けたのは、興正派の苦境であった。六月の大地震が引き金となって、両堂が危険な状態となり、御正忌は内勤めにとどめざるを得なかったのである。生は偶然、死は必然。慶讃法会を四年後にお迎えすることも、決して当たり前ではない。何が起きても揺るがない依りどころは何かと、厳しいご縁によって問いかけられる。
自坊の維持すら大変な状況の中、慶讃法会に対する御懇念をお願いするのは、本当に心苦しい。ただ、南無阿弥陀仏の灯を次世代に伝えんがため、伏してお許しを願うばかりである。いま私があるのも、故郷のおじじおばばたちから、先を歩む念仏の先輩から、厳しくも温かいお育てをいただいたおかげであった。ご恩を忘れる愚かさを恥じると同時に、揺るがないご本願にあずかる明るさが、しみじみと喜ばれる。