真宗佛光寺派 本山佛光寺

2018年の時事法話

難度海

2018年11月

 十一月、冷たい時雨が降る頃になると、一人のおばあさんを思い出す。「薄皮一枚が分からんでなあ。また参らせてもろうたよ」が口癖だった。暖かいストーブのそばがいいだろうに、雨合羽を被り、二つ折れの身体を手押し車にあずけて、うつむくように歩いて来られた。そのお姿に、念仏して生きるとはこういうことかと、背中を押される思いがする。
 先日、本山にて、ご高齢の先輩とお出会いした。この日はいつもの様子と違った。わしはもう長くない、この頃とみにそう思う、階段の上り下りもしんどくなった、次の約束はできないだろうと言われる。真剣な表情だ。本山に預けてあったお聖教を全部持って帰るとおっしゃって、風呂敷の結び目が小さくなるほど沢山の本を抱えておられた。これは相当重い。見るに見かねて、車で運ばせていただくからと申し上げたのだが、「いただいたご恩は山よりも高く海よりも深しというてな。重たい重たい。頼むさかい、持たせてくれ」とおっしゃって、くるりと背を向けられたのである。私は絶句した。家までどころか、地下鉄の駅に着くまでの間、何度風呂敷を降ろさねばならないことか……念仏に生きるとはこういうことかと、重ねて励ましをいただいた。

2018年7月

 初夏の雨にしっとりと濡れて、苔むした中庭の緑が目にしみる。そんな穏やかな日常を破るように、六月四日、職員が襲われて軽いけがをした。攻撃してきたのは二羽のカラス。頭上を急襲されてみると、ものすごい迫力だ。敵意むき出しの相手ではあるが、その背景には、巣から落ちた雛を守らねばという親心がある。実際、よちよち歩きの雛を見ると、同じくよちよちの孫と重なって仕方ない。ところが、参拝者のためにも対応は待ったなしである。雛や親鳥を排除するのか、それとも近づかないように見守るのか。
 正解は、現場によって違うだろう。ただ、私たちは仏の願いに生きてほしいと願われている。仏の大悲は、いのちを平等に愛し、共に悲しむ心である。本山の現場では、一羽の雛が役所に引き取られ、もう一羽の巣立ちが皆に見守られた。せめて一羽だけでもという判断の物差しは、孫を始め多くの人々からのお育てであり、お導きにほかならない。
 その二週間後には、大阪で地震が起きた。穏やかな日常が激しく揺さぶられ、水が蛇口から出ることも、今日命があることも、何一つ当たり前ではなかったことがあぶり出される。熊本や東日本、阪神淡路といった大震災に遭われた先人から教わったことを、身をもって実感させていただいた。
 今日も導かれる、これがお念仏の生活ではないだろうか。

2018年3月

 今冬、日本海側では大雪に見舞われ、列車で約四三〇人が夜を明かしたり、国道で約一五〇〇台の車両が動けなかったりした。
 そんな中、京都は快晴だった。本山の学生寮前では、春を告げる紅梅が一輪、咲いた。大雪の間に、京都と北陸とを三往復したのだが、肌で感じた命の危険を京都で伝えるのは難しかった。
 人はみな、置かれた場所が違う。お互いに理解し合うのは、難しい。
 真宗教団連合が一般の方を対象に行った調査によると、「本願」や「名号」など教えの根幹に関わる言葉について、意味を知っている人がとうとう一割を切った。一般の方にとって、外国語を聞くような感覚なのかも知れない。
 本山の門信徒アンケート調査では、お墓やお内仏が若い人に相続されない、何とかしてほしいという声が多く寄せられた。仏法が次世代に伝わらないという問題は、指摘されて久しい。厚生労働省の推計によると、将来の日本は、人口は激減するのに、世帯数は増加していくという。老いも若きも一人暮らし世帯が増え、ますます家族がバラバラになっていくのである。
 家庭で伝わりにくくなったなら、今こそお寺で伝えたい。年配者はもちろん、若い人まで広く集う場所を開きたい。先人の生きる姿を通して、人から人へと、教えは伝わってきた。雪に覆われたままの北陸ナンバー車が、京都に着いても凄まじさを語ったように。

2018年1月

 この時節、本山のお堂は冷える。かわいがってくれた祖父が往生の素懐を遂げたのもこの季節だった。晨朝のとき、お仏飯をひとつひとつ、丁寧にお辞儀してお供えするような人柄だった。祖父は自分のことをワシと言っていた。長くパーキンソン病を患い、晩年には言葉も簡単に出なくなった。その祖父が亡くなる直前、時間をかけて絞り出した言葉がある。「ワワワ…シシシ…ハハハ…」
 本山の晨朝は、いつもなら朝七時からだが、御正忌の後半は六時から。本当に芯から冷える。参拝者がなくて朝の布教が中止になった日があり、今日もそうなれば暖房の部屋に入れると思ったそのとき、老夫婦がゆっくりとお堂に上がってこられた。後ろのおばあさんは、一段一段丁寧に、階段を上がってこられる。前のおじいさんに、どちらからですかと伺うと、新潟から、しかも夜行バスでとおっしゃった。ほとんど眠れなかったけど間に合いましたと笑うその顔の、なんと柔らかなこと。後ろのおばあさんの一歩の、なんと丁寧なこと。胸が詰まるような驚きを覚えたとき、わたしは祖父の遺言を思い出した。「ワシは愚かじゃった」と。
 暖房に恋々とする心は変わらない。ただ私は、新潟の老夫婦と祖父とに導かれて、ようやく御正忌に参らせていただいたのだった。金子大栄師の言葉が私をつかんで離さない。「その人を憶いてわれは生き、その人を忘れてわれは迷う」

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