真宗佛光寺派 本山佛光寺

2012年の時事法話

難度海

2012年9月

 今年のロンドンオリンピックは数々の話題を呼んだ。その中でも、体操の内村航平選手と短距離のウサイン・ボルト選手は、金メダルの最有力候補として世界の注目を集めていた。その二人をNHKが一年にわたり、科学的手法を用いた密着取材を行ない、オリンピック開会直前に「ミラクル ボディー」と題して放映した。驚いたことに彼らは、優れた身体能力を元から持っていた訳ではなく、出る力を如何にして出し切るか、ということに心血を注いだのだった。内村選手は、小学生の頃から両親が経営する体操教室で体操を始めたが、目立つような選手ではなかった。しかし、体操教室に導入されたトランポリンで楽しみながら、自分でひねりの練習を繰り返した。彼の努力を惜しまない好奇心に満ちた練習が、内村選手の類まれなる空中感覚を育むことになった、と番組は紹介していた。彼は「自分の中にもう一人の小さな自分がいて、自分を動かしている」と説明する。まさに他力に通じる極意といえる。出す力には無理がある。それがオリンピックの魔物の正体なのだろう。

2012年5月

 宗学院研修会特別講義「人間生活とエネルギー」で一九世紀に発見されたウェバー・フィフナーの法則を知った。「感覚の強さを等差級数的に増すためには、刺激の強さを等比級数的に増さなければならない」という。平たく言えば、月々十万円もらう人が、一万円昇給すれば喜ぶが、月々百万円もらう人が一万円昇給しても、それほど喜ばない。十万円昇給してはじめて、十万円の人が一万円昇給したと同じ程度に喜ぶ、というのである。この法則をエネルギー問題に当てはめれば、わが国が高度経済成長の路線を維持しようとすると、エネルギーの消費量は等比級数的に増大することになる。さすれば、エネルギー供給は追いつかず、他国との軋轢は避けられなくなる。そればかりか、制御未確立の原発を用いれば地球環境に深刻な打撃を与えることになる。飽くなき欲望を持った人の心ほど、度し難いものはない。思えば、釈尊は二千五百年も前に「例えヒマラヤを金に変えても人の貪欲を満足させることはできない」と喝破された。目を開けて寝ている人の目を覚ますのは難しい。

2012年3月

 東日本大震災が発生して1年余りが経つ。避難者数は未だに33万人を数え、放射能に汚染された瓦礫は引受け手もなく放置され、復興は遅々として進まない。目に見えない放射能は、時間が経過しても思わぬ場所や物から検出され、関係者を困惑に陥れている。放射能への恐怖心は噂を生 み、噂は恐怖心を煽り、風評被害の混乱は一向に収まる気配がない。巨大地震に端を発した福島原発事故は、災害の様相を一変させるとともに、現代人に大きな課題を突き付けた。環境破壊の深刻さである。地球物理学者の松井孝典氏は、人類が狩猟採集生活から農耕牧畜生活へ移行した約1万年前を起点に、人間圏という概念を導入して地球システムを考えるよう提唱した。その上で人間圏の誕生から始まった環境破壊は、現代に近づくに従ってその規模と速度を幾何級数的に増大させてきたと指摘する。今や環境破壊は地球生命存亡の危機に直結する事態となった。後悔先に立たず、環境保全への個々人の意識向上こそ急務である。そのためには、少欲知足の仏教思想の普及が不可欠だろう。

2012年1月

 成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり。勤勉を信条とする日本人の好きな標語の一つだ。努力することは生きて行く上で必要不可欠である。だからと言って、努力すれば思いが全て叶うという訳ではない。否むしろ自身の努力のみを拠り所とすれば、人は自滅する しかない。昨年の大震災は人の努力が一瞬にして無に帰すことを白日の下にした。人は自身の努力が全くと言ってよいほど当てにならない諸行無常の世を生きているのである。しかし、その無常の世にあっても人にできることは努力しかない。平成17年の公共広告機構の標語に「命は大切だ/命を大切に/そんなこと/何千何万回/言われるより/「あなたが大切だ」/誰かが/そう言ってくれたら/それだけで/生きていける」とあった。「あなたが大切だ」との声が聞こえれば人は如何なる苦境に陥ろうとも努力できる。いつの時代にあってもその声が無くなることはない。問題は聞き取る耳を持つかどうかにある。声なき声を聞き分ける人こそ、「他力の信心うるひと」と言えるだろう。

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