真宗佛光寺派 本山佛光寺

2011年の時事法話

難度海

2011年9月

 民主党政権が誕生して二年余り、早三人目の首相となる野田内閣が9月2日に発足した。内閣支持率65%を獲得したのも束の間、閣僚の失言が相次いだ。大臣に就く者は、政治的判断力のみならず、担当する夫々の分野の現状認識と、世界の最新情報を常日頃から把握しておくことが要求さ れる。野田総理は適材適所の人選と大見得を切ったが、全員野球の下に素人を任命すれば、失言が飛び出すのも当然のことである。首相の任命責任は免れるものではないが、自らの器量もわきまえず、大臣の椅子に目の眩む政治家もお粗末至極である。親鸞聖人は、主著の『教行信証』を締めくくるに当り、「今時の道俗、己が分を思量せよ」と化身土巻に記しておられる。拘ることなく、偏ることなく、自らの器量を自覚せよと、言われる。政治家ばかりの話ではない。3月1日に放映された「岐路に立つお寺」での信頼度調査は、僧侶の無自覚ぶりを証した。すなわち、仏教は信頼できると答えた日本人が90%に達するのに対して、寺院はわずか20%、僧侶に至っては10%であった。

2011年6月

 東日本大震災が世界に速報されたとき、各国のメディアが驚嘆と称賛の声を上げた。被災地の人々が規律正しく助け合いながら苦難に立ち向かっている、と。昨年1月のハイチ地震では略奪が横行し、非常事態が宣言されて夜間外出禁止令が出された。アメリカ合衆国でもハリケーン災害が 起きると必ず買占めや便乗値上げが発生するという。人気急上昇中のサンデル教授が、インターネット中継を用いた討論授業で、米国・中国・日本の学生に日本人の震災対応について尋ねた。4月16日に放映されたが、その中でも被災地の人々の行動に敬意の声が寄せられた。そうした日本人の特性は、自国の風土と仏教思想によって培われたと言えば言い過ぎだろうか。我が国は四季の変化に加えて台風や震災といった人知無効の災害にしばしば見舞われる。清沢満之大谷大学初代学長は、「人事を尽して天命を待つ」という中国の諺を、仏教徒であれば「天命に安んじて人事を尽す」であるべきと言われた。世界の人々は、その無常観に立った被災地の人々の行動に感動したのではないか。

2011年3月

 京都大学をはじめ有名大学入試問題が試験中にインターネットの「質問サイト」に投稿されるという事件が起きた。倫理欠如型犯罪として大きな社会問題となっているが、韓国では既に七年前に携帯電話を用いた大規模な入試不正事件が摘発されており、中国では携帯を使ったカンニング機器が市販されている。社会的背景に多少の違いはあるとしても、志望校に入るためには不正も辞さずというのは、国が変わろうと、時代が変わろうと同じである。社会秩序維持に向けて事件の背景を解明し、再発防止策を講じなければならない。しかし、それだけでは問題は治まらない。有名大学を目指す若者は、如何にして自身の「分限」を見極めるかということこそ、根源的な課題である。不正に走ったことは許されないが、犯人はその分限に気が付いていたのである。しかし、実力で入った者は、努力さえすれば望みは叶えられるという妄念に囚われたままである。オウム真理教は有名大学生ほど洗脳され易いことを証する。道を究めた祖師たちは異口同音に自身の愚かさを表白している。

2011年1月

 「宗教は民衆のアヘン」と語ったのは、共産主義を理論構築したマルクスである。王権勢力と結びついた当時のキリスト教を批判したものだ。宗教の眼目は内観にある。内観とは自己を見つめることであり、自身の本当の姿に目覚めることによって、人は救済に預かるのである。他人を動かすために信心を利用すれば、いかなる宗教といえどもアヘンとなる。法の華の霊感商法が社会問題化した時、精神科医が「人が神に語りかけることを祈りという。だが、人が神の声を聞いたというなら、その人は統合失調症、さもなくば詐欺師である」と語った。歴史を紐解けば、戦争は神の正義を語る為政者の下で幾度となく繰りされてきたことが分かる。家庭崩壊が進む現代社会では名聞利養を目論む新興宗教が雨後の筍のように誕生した。家に伝承された宗教に触れていない若者が標的となっている。今は宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要の年である。今こそ、聖人が自らの家庭生活を通して戴かれた本願念仏を顕彰し、家族の絆を考える運動の下、念仏相続に取組む機縁である。

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