真宗佛光寺派 本山佛光寺

2010年の時事法話

難度海

2010年9月

今年の一月末にNHKスペシャル「無縁社会」が放映され、社会に大きな反響が渦巻いた。誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が、年間三万二千に達するという。とくに三〇代、四〇代には自身の未来像と映ったのか、インターネット上で「祭り」といわれる異常現象が頻発したという。そして、この夏には足立区で百十一歳の東京都最高齢男性という人物がミイラ姿で発見され、それを皮切りに全国各地で住民票のみが残る行方不明高齢者の存在が次々と明るみに出た。しかも、家族自身も本人には何十年も出会っていないという。いつの間に人間関係がこうも乾き切ったものになってしまったのだろうか。マスコミは終身雇用の消滅、個人情報保護法の壁といった様々な問題点を指摘する。しかし、自由には責任を伴うというのは社会規範の原則、それを個々人がいかに自覚するかということこそ課題である。その意味では、心の砂漠化の真の原因は自身を内観する宗教を失ったことに因るといっても過言ではない。

2010年5月

参議院選挙を目前に控え、沖縄の普天間米軍基地移転問題に絡んで政局は大揺れに揺れている。沖縄県民の宿願に応えようとすれば、県外移転先住民から猛反発を受ける。県外移転を断念すれば、沖縄県民や県外移転を支持する人々から裏切り者呼ばわりされる。首相は、五月末 決着の予告通り日米共同声明を発表し、社民党が連立政権を離脱した。政治は元よりハンドルであり、右に切るか左に切るかは為政者の判断にある。どの道を選ぼうとも非難と恨みを買うことになる。言葉を駆使した八方美人では国を治められない。首相は、政治的信念に基づき沖縄県民の皆様方の理解を得るよう努めると語ったが、話せば話すほど自身の無能を露呈することになった。信念は軽々しく口にすべき言葉ではない。政治は有言実行であってこそ、信念の人といえるだろう。
親鸞聖人は、本願に信順して歩む宗教的信念を「ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず」と、『教行信証』後序に吐露しておられる。

2010年3月

新年早々、小沢一郎民主党幹事長の政治資金管理団体「陸山会」の虚偽記載問題で、衆議院議員を含む三名の秘書が逮捕され、政治と金を巡って国会は波乱含みの開幕となった。また、経済界では日航クループが戦後最大の負債二兆三千億円余りを残して破綻した。あたかも戦後の高度経済 成長路線の終焉を象徴するかのような出来事である。統制経済による平等を謳って建国されたソビエト連邦は六十九年で崩壊した。明治維新を契機に富国強兵路線を突き進んだ我が国は、七十年後に日華事変を経て第二次世界大戦へと突入した。敗戦から六十五年を経た今日、我が国は大きな時代の転換期に差し掛かっているといえるだろう。七十年といえば人の一生の長さであり、携わる世代でいえば三世代である。昔から「親苦労、子楽、孫貧乏」と言われる。有量の人智に依る限り、相続には限界があるのだろう。聖人は「智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく 光暁かむらぬものはなし 真実明に帰命せよ」と、阿弥陀仏の智慧を讃嘆された。念仏が相続されてきた所以であろう。

2010年1月

初詣は日本文化を最も象徴する風物詩の一つであろう。多くの人が新年を寿ぎ、一年の無事と平安を祈る。誰しも悲しく辛い思いはしたくない。元旦に良い年であって欲しいと願うのは万人に共通した思いであり、微笑ましくもある。だが、その思いに「欲」と「願」の違い目のあることに、 どれほどの人が気付いているだろうか。覚悟を伴わない思いは欲であり、はかない夢である。夢であれば早く覚めるに越したことはないだろう。苦楽を共にする、悲喜交々、損得は糾える縄の如し、生死一如といった言葉がある。これらは楽だけが、喜びだけが、得だけが、生だけが存在することは決してないということを教えている。いずれの事柄も表裏一体の関係にある。にも拘わらず、私たちは都合の良い方のみを切望して止まず、夢見心地に空しく時を過す。『歎異抄』十三章に、「さればよきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはそうらえ」とある。この一年、何が起こるか分からない。覚悟を伴ってこそ願いとなる。

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