真宗佛光寺派 本山佛光寺

2008年の時事法話

難度海

2008年11月

知能の高い動物ほど鏡に興味を示し、自身の姿を認識するといわれる。この鏡に写った自分を認識する能力を自己鏡映像認識という。洋の東西を問わず、自己鏡映像認識にまつわる話は数多くあり、イソップ物語の犬の話やギリシャ神話のナルシスの話はことに有名である。わが国には吾妻鏡 という落語がある。これらはいずれも鏡に写った自分を他と勘違いする寓話で、大事なことを教えている。私たちは鏡に写った自身の顔は知っている。しかし、その顔はいかに美しく見せるか、いかに立派に見せるかと意識した顔である。泣いたり怒ったりしている自身の顔は、見たこともなければ、見ようともしない。その顔と一番付き合っているのは家族である、ということさえ意識の外にある。まして、形として見えない自分の気持ちがどのように伝わっているか、ということを考えることもない。一見仲の良い親子が些細なことから殺人事件にまで発展するのは何故か。善導大師は「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」といわれる。仏法聴聞の機会に恵まれなかった悲劇であろう。

2008年5月

五月二九日滋賀北教区光源寺において布教大会が開催され、大遠忌の基本理念「南無阿弥陀仏は私のいのち」を課題に四人の布教使が実演した。平仮名で表記される「いのち」とは何か、布教使は夫々の味わいに熱弁をふるった。折りしも前日の二八日、日本料理の老舗「船場吉兆」が七八年の歴史に幕を下した。昨年一〇月に福岡の百貨店で消費期限切れ菓子販売が発覚したのに端を発し、次々と偽装が明るみに出て、二代目社長が引責辞任した。暮れには三代目若旦那が創業者一族の指示を認めて謝罪し、年が明けて心機一転、創業者の娘である女将を社長に立てて本店の営業を二ヵ月振りに再開した。しかしながら、またしても五月二日に「使い回し」が露見するところとなり、老舗の「いのち」である「信用」を完全に失墜してしまった。昔から「親苦労、子楽、孫貧乏」と言い習わしてきたが、人間の作り出す「いのち」は煩悩の垢にまみれて、長続きしないのであろう。途切れることのない無量寿の「いのち」をいただくことこそが、大遠忌の基本理念のこころといえる。

2008年3月

食料自給率が四〇%を切るわが国で、農薬の混入した中国製の輸入冷凍ギョウザが原因で中毒事件が発生した。食料供給において日本が危機的状況にあることを改めて浮き彫りにした。その一方で、食料の二六%に当たる七〇〇万トンを残飯として捨てている。その総額はわが国の農水産業の生産額にほぼ匹敵する一一兆円に達するという。何ということであろうか。そればかりではない。現代っ子の食生活は「ニワトリ症候群」と呼ばれているという。独りで食べる「孤食」、朝食を抜く「欠食」、家族がばらばらなものを食べる「個食」、好きなものばかりを食べる「固食」である。その頭文字を取ればコケコッコーになるというのだ。活力の源は食べ物であり、食事は同じものを家族皆で美味しく楽しく食べるのが原則である。そこに均衡の取れた家族の絆を見ることができる。老若男女を問わず、レストランや会食の席で「いただきます」「ごちそうさま」を口にする人を久しく見かけない。豊かさを追い求める中で食べ物はいつしか餌と化し、人々は畜生道に彷徨い込んでしまった。

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