2023年7月のともしび
常照我
「蓮華紋様」
蓮の花は泥の中に咲きますが、泥に染まることはありません。『観経』では、煩悩の泥にまみれた凡夫の念仏者を蓮華にたとえられています。
七月、もうすぐ夏休み。この時期になると思い出すのは、子どもの頃、家の前の通りに毎朝来ていた野菜売りのおばあちゃん。トマトやナスやキュウリをリヤカーに積んで、村から町へ。収穫したての野菜の美味しさといったらありませんでした。
種という「因」に、土壌・太陽・雨などの自然のめぐみ、そして日々の農作業という様々な「縁」が連なり、あのみずみずしい野菜がうまれます。そのどれか一つでも失われたら、もたらされない「果」。
同様に、私がお念仏の教えをいただいていることも、祖先からのいのちの歴史と、仏縁の連なりの上にあります。阿弥陀さまの願い、お釈迦さまから脈々と受け継がれてきた教え。その仏縁が結実して、「いま念仏申す私」が成り立っているのです。
(機関紙「ともしび」令和5年7月号 「常照我」より)
親鸞聖人のことば
蟪蛄春秋を識らず、
伊虫あに朱陽の節を知らんや
『教行信証』「信巻」より(「佛光寺聖典」二九三頁)
【意訳】
蝉は春も秋も知らず、夏に生まれて夏に死ぬ虫であるが、この虫が夏に生まれるからといって夏を知っているというのではない。
些細なことで痛めた足を、1カ月ほど引きずって生活をしたのは昨年の夏のことでした。
夏を知らぬ蝉
足を痛めてすぐ病院に行こうとしましたが、特に治療してもらうこともないだろうと勝手に判断し、日にち薬だと高をくくった私。正直なところ、仕事が詰まっていて病院に行く時間がとれなかったのですが、結果として、自分の都合に合わせて、自分の体をどうにかしようとしたことになりました。つまり、都合に合えば病院に行くが、合わないから行かない。基準は私の都合で、肝心の体は置いてきぼり。
そんな中、ふと「蟪蛄春秋を識らず」という言葉が思い出されました。親鸞聖人がその主著『教行信証』で引用されているこの言葉は、夏しか知らない蝉は春や秋を知らないのだから、本当の意味で夏を知らないという意味があります。夏を知らない蝉のように、自分を知らない私。というよりもそれは、私のことは私が知っているという驕りかも知れません。
自分を知らない私
原因があって足を痛めているのだから、その原因を突き止め、治療するために病院に行けばいいのに、「体力自慢だから大丈夫」、「ほっとけば治るだろう、頑張れ」と、自分を叱咤激励していたのです。宮城顗という仏教者が「何でも知っているという闇」と言われたそうですが、まさにそれ。春や秋を知らない蝉が夏を知らないように、自分のことを自分で知り尽くすことなど出来ないのです。「何でも知っているという闇」を破るのが教えなら、教えに照らされて初めて自分を知らされるのではないでしょうか。蝉の声を聞きながら、そんなことを思いました。
(機関紙「ともしび」令和5年7月号より)
仏教あれこれ
「感動の親鸞展」の巻
「はい、私も見に行ったよ!」という人も、多くいらっしゃるのではないでしょうか。
今年の春、京都国立博物館で「親鸞|生涯と名宝」展がありました。まさに圧巻の展示内容でした。不明な点も多い親鸞聖人のご一生ですが、その求道と伝道のご生涯を貴重な実物展示品によって分かりやすく知ることができ、また、そのことによって聖人をより一層身近に感じとることができて、うれしかったです。
佛光寺派からは、「善信聖人親鸞伝絵」、「聖徳太子立像」、「了源坐像」、「一流相承系図」等が出陳されていました。今回は、生誕850年の特別展で、真宗十派が協力し各派が所蔵する、聖人自筆の名号・著作・手紙をはじめ、彫像・影像・絵巻などの法宝物が一堂に展示されていました。
私は特に、『観無量寿経』や『阿弥陀経』の余白にこまかくびっしりと書き込まれた詳細な註に驚かされました。どれほど深く真摯に学んでおられたか、その一端にふれた思いがしました。
また一方で、晩年の『西方指南抄』等の書物やご消息(手紙)は、私の想像よりもずっと大きな字で書かれていました。おそらくそれは、読み手への配慮だけではなくて、「目もみえずそうろう」というご高齢もきっと関わっているのだろうと、想像をふくらませながら拝見させてもらいました。
私の見学した日は大盛況で、親鸞聖人を慕う方がいかに多いかを改めて実感いたしました。
(機関紙「ともしび」令和5年7月号より)