2021年7月のともしび
常照我
「サガリバナ」 撮影 西表島ウォーターマン 徳岡大之さん
言葉がすぐに出て来ずにあせることが増えました。それに左膝に少し痛みも出てきました。
「年のせいなのかなあ」そんなことを思ったときに、ふいに祖母が思い出されました。
祖母は私をいつも「ほうかいな、ほうかいな」と笑顔で受けとめ、私の手をよく握ってくれました。今も祖母のあの声や細い手の感触が懐かしいです。祖母は私の良き理解者でした。
でも一方、私は祖母の良き理解者でなかったことに、今、初めて気づきました。当時、病弱の祖母は病苦や老苦を抱えていたのに、私は自分のことばかり。多少とも我が身に感ぜねば推し量れぬ私の自己中心的な分別心に改めて悲しくなりました。
せめてお浄土では、私の方から「ほうかいな」と頷き、祖母の手を握れればと思います。
(機関紙「ともしび」令和3年7月号 「常照我」より)
親鸞聖人のことば
煩悩、眼を障えて
見たてまつらずと雖も、
大悲倦きこと無くして
常に我を照らしたまえりと。
『正信偈』より(「佛光寺聖典」二二九頁)
【意訳】
わたしの煩悩が真実から眼をさえぎるようにして、わたしが気づくことができないとしても、阿弥陀さまの大きなはたらきは、常にわたしに届き続けているのです。
父を見送り住職を継ぐと、責任の重さを感じながら、日々を送るようになりました。
父が遺してくれたもの
寺の行事を前にすると、どうにも落ち着きません。何年も父といっしょに準備を繰り返していたのに、何かを忘れているような気がしてくるのです。
報恩講の準備を始めた頃、久しぶりに父の書斎に入り、机の前に座りました。遺品整理もまだ終わらず、机の上は生前そのままに、筆や硯箱が整然と並んでいます。
何気なく傍らの木箱の蓋を開けてみると、書類が重なっています。少しめくると、一枚の手書きの表が出てきました。体調が悪くなってから書いたのか、字が震えています。
それは、寺の一年の行事について、まとめた表でした。それぞれの行事でどのお経を読むのか、どの衣を身につけるのか、荘厳(お飾り)やお供えなどの準備はどうするのか、事細かに書いてありました。
わたしにかけられた願い
行事の前の日には、必ずわたしに説明を繰り返してくれていた父の顔が眼に浮かびました。
「ああ、そのときの自分は、きっと面倒くさそうな顔をしていたに違いない。父はどんな思いでわたしに説明をしてくれていたのだろうか」そう思うと、父の遺してくれた表を手に、しばらく机の前を動けなくなりました。
わたしが全く気づいていなくても、ありがたく思っていなくても、わたしにかけられている願いがあります。
お念仏を称える中に、わたしを支えてくれている大きな願いの世界が、はっきりと顕れてくるのです。
(機関紙「ともしび」令和3年7月号より)
仏教あれこれ
「財布がない!」の巻
以前、財布をなくしたことがあります。
その日、私はいつもお世話になっている先生と友人とで、京都のいつもの店で待ち合わせ、食事を楽しんでいました。
店を出て、まだ話し足りなかった私たちは、近所の友人宅へと向かいます。そこでも話は尽きませんでしたが、帰る時間となった私はタクシーをひろい、京都駅へと向かいました。しかし、料金を支払おうとしたところ、財布が見当たりません。運転手にお願いし、友人宅まで戻ってもらいました。
立ち寄った先すべてに電話をしましたが、どこも財布の落とし物は無いとのこと。友人と二人で通ってもいない路地まで探しましたが見つかりません。警察署で紛失届を提出し、不安なまま地元へと帰りました。
次の日、夕方に法務を終えた私は、急いで京都へと向かいました。明るいうちに昨日歩いた道をもう一度探そうという悪あがきです。しかし結局見つかりませんでした。いまだ警察からの連絡もありません。
ところで、財布の紛失に気づいた時、私がタクシーの運転手に告げたのは、「財布がなくなって……」というひと言でした。もちろん、財布が勝手になくなったりはしません。財布をなくしたのは私です。自らの失態を素直に認めることができない私が明らかになったのです。財布をなくしたおかげで、なんて強がりを言うことはできませんが。
(機関紙「ともしび」令和3年7月号より)