真宗佛光寺派 本山佛光寺

2021年1月のともしび

常照我

「雪上の松ぼっくり」 撮影 藤末 光紹氏「雪上の松ぼっくり」 撮影 藤末 光紹氏

 いじわるばかりしていたオオカミが、クマに優しくされ、それからは心を入れ替えるという『はしのうえのおおかみ』。優しくすることの大切さを教える小学校「道徳」に載っているお話です。
 しかし、いくらそのように心がけていても、嫌なことを言われただけで優しさなんて吹っ飛んでしまう私であるのも現実です。そこには人間の知恵からなる「道徳」だけでは収まりつかないわが身の複雑さがあるからなのでしょう。
 きっかけひとつでどのようにでも変わってしまう私の姿を、ありのままに知らせようとするはたらきが仏さまの智慧。
 「道徳」を超えた「み教え」との出遇いによってのみ、本当の意味で私自身を自覚していく世界がひらかれていくのです。

  (機関紙「ともしび」令和3年1月号 「常照我」より)

 

御親教

門主 渋谷 真覚

 日毎に秋も深まり、紅葉の美しい時節となりました。本日は御正忌報恩講に、ようこそお参りくださいました。
 去る十一月十二日、惠照前門主が九十五年を一期として、お浄土にお還りになられました。皆さまとともに、これまでのご功労に深く思いをいたしたいと思います。
 また七月には、熊本県南部を中心に豪雨に見舞われました。まだ復興道半ばであることにも、心を寄せてまいりたいと思います。
 さらに今年は、ウイルスの感染拡大によって、私たちの生活は一変いたしました。漠然としていた死の恐怖が目の前に現れ、私たちは日々不安にかられています。人と人とが傷つけ合うことも起こりました。それだけでなく、自死の問題や差別の問題などたくさんの苦悩に直面し、生きる方向を見失っているように思います。
 親鸞聖人は、御和讃に、

  無慚無愧のこの身にて
  まことのこころはなけれども
  弥陀の回向の御名なれば
  功徳は十方にみちたまう

とお詠みになられ、自分の罪悪に無自覚に生きている私たちにも、阿弥陀仏の名号がはたらきかけ、その功徳が満ちあふれることを示してくださっています。
 この中で、聖人は、父を殺めてしまわれた古代インドの王様、阿闍世にご自身を重ねておられます。
 すべてに行き詰った阿闍世は、耆婆という大臣に導かれて、お釈迦さまと出遇います。その時、お釈迦さまは、苦しみ悩む阿闍世を深く受け止められました。そして「もしあなたに罪があるというなら、私にも罪がある」「阿闍世のために涅槃に入らない」と仰せになられました。
 この大悲のお言葉を聞いて、罪を恥じる心もない自分自身であったという目覚めが、阿闍世に生じました。南無阿弥陀仏の大悲の喚び声が聞こえてくるとき、ひとり悩む心から解放され、現在ただ今の身を、そのままいただいて生きてゆける広やかな世界が開かれてくるのです。
 コロナ禍の下で、罪を恥じる心を持てずに、お互いに傷つけ合って孤立を深めている私たちに、響き渡るお念仏の声が、ともに痛み悲しむという広い大地を教えてくれます。その声に出遇って初めて、差別や偏見を乗り越え、共にコロナ禍の人生を歩んでゆくことができるのです。
 生死を超える道は、本願のお念仏を聞かせていただくことしかありません。お参りの皆さまにおかれましても、親鸞聖人に導かれ、お同行のお念仏に励まされながら、悩み多き中を一歩一歩、いきいきと歩んでくださいますよう、心より念願いたします。
 本日は、ようこそお参りくださいました。

 

年頭のご挨拶

宗務総長 佐々木 亮一

  もらさじと 呼べる誓いの
  み名にあいて
  聴きひらかなむ
  わがともびとよ

 謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。
 冒頭の歌は、昨年十一月十二日御遷化されました惠照前御門主がお得度に当たりお念仏とともに生きる決意を詠われたものです。
 惠照(渋谷笑子)様は、戦後間もない昭和二十三年、第二十九代真照上人と結婚され、本山にお入りになりました。九十五才でお亡くなりになるまでの七十余年、お裏方として、母として、門主として佛光寺をお守りいただきました。
 取り分け真照上人の御遷化後、門主後継が二度も行われる事態となりました。そこで、自ら門主となり、親鸞聖人七五〇回大遠忌法要を厳修し、平成三十年には第三十三代真覚門主へと引き継がれたのであります。
 苦難の時代にあって、惠照様は常々、「全ては阿弥陀様のおはからい」と口癖のように話されていました。お念仏に導かれいただいた生命を全うしお浄土へお還りになりました。
 さて、昨年を振り返りますと予期せぬコロナウイルス感染症の拡大と自然災害に明け暮れた一年でした。
 集中豪雨によって被災されたご寺院様には一日も早い復興を念じております。また、ご支援いただきました宗門の皆様に心より感謝申し上げます。
 一方、コロナウイルス感染症の世界的な拡大は、政治、経済、社会、文化、生活様式、更に私達の心にも大きな影響をもたらしました。
 見えないものへの恐怖心が苦悩となり、苦悩から逃れるため自分を正当化し、これがこうじると差別へと繋がります。収束の目途が立たない今日、不安に満ちた日々の中で感染された方や医療関係者への心ない差別が起こっていることは誠に残念なことです。
 本山におきましては、恒例法要や茶所布教については、感染対策を講じながら粛々と実施しておりますが、春法要と御正忌報恩講は、団体参拝を中止し厳修することを余儀なくされました。その他の行事については、やむなく中止せざるを得ないもの以外はオンラインの併用など可能な限り開催に努めております。
 さて、昨年の御正忌報恩講の御親教で真覚ご門主は、

  無慚無愧のこの身にて
  まことのこころはなけれども
  弥陀の回向の御名なれば
  功徳は十方にみちたまう

をお引きになり、罪を犯し、人を傷つけている我が身を恥じることのない私たちにも、阿弥陀如来のお念仏の功徳がはたらいています。生死を超える道は本願のお念仏を聞かせていただくことしかありませんとお示しいただきました。
 私たちは、このみ教えを守り苦難を乗り越えてこられてた先人にならい、念仏の日々を過ごして参りましょう。

 

仏教あれこれ

「のどかな日常」の巻

 もう二十数年前の話です。当時、ご門徒の家に月命日に伺っていた時のことです。毎月のことですので、仕事の都合や病院へ行く日と重なり、留守にされることもありました。
 ある奥さまは家の裏口を開けといてくれます。私は、そこから仏間へ上がり読経をします。そしてテーブルの上に置いてあるお布施を預かって帰るのです。そこには「お皿のお菓子を食べてください。お茶はご自由に、お湯はポットです」と必ず置手紙がありました。
 ある日、留守でしたのでいつものように仏間に上がりお参りを終えると、急にトイレに行きたくなりました。とてもお寺まで我慢できる状況ではなく、しかたなく拝借しました。誰もいませんので、着物を脱ぎ身軽な姿で入りました。ところが安心も束の間、なんと奥さまが帰って来られたのです。「あら、お坊さんかしら」と仏間に脱ぎ散らかした着物を見たであろう奥さまの声。私は「ここです」とも言えず、無言で閉じこもっていました。数分後、大量の汗にまみれながら出ますと「大丈夫、具合が悪いの?」と奥さまに声をかけられました。もう、恥ずかしさにそそくさと着物を整えました。
 別のお宅では、珍しく留守でしたので帰ろうとした時、玄関の張り紙に気がつきました。そこには「急用です。お布施は、この裏に貼ってあります」と。めくると、玄関にお布施の入った封筒が画びょうで止めてありました。
 新年、月参りをつとめながら、ふとあの頃ののどかな日々を思い出し苦笑したのでした。

  (機関紙「ともしび」令和3年1月号より)

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