2019年4月のともしび
常照我
撮影 フォトグラファー 田附 愛美氏
手水舎の龍は何を見ているのでしょう。視線の先には、しだれ桜。御堂の前にひっそりと咲く姿には、観光地の桜とは違う独特な雰囲気があります。
「諸行無常」と教えが説かれるこの御堂の前で、咲き誇っては散っていく桜の花を見上げていると、桜も私も同じ無常なるいのちを生きているのだと、教えが響いてくるようです。
しかし本来「無常」とは、すべてのものが刻々と変化していくことであり、悲観的な教えではありません。桜の下を駆け回る子どもたちが、元気に成長していく姿もまた無常です。
はるかな昔からの多くのご縁をいただいて、私たちはこの世界に生まれ出てきました。当たり前ではなく、それが深い感動をもって受け止められたとき、新しい私が歩みを始めます。
(機関紙「ともしび」平成31年4月号 「常照我」より)
親鸞聖人のことば
さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし
『歎異抄』より(「佛光寺聖典」八〇二頁)
【意訳】
自分は絶対にしないと思っていても、縁しだいでは、してしまうこともあるのです。
「トラックにひかれそうになった……」
学校から帰ってきた小学生の息子が突然発した言葉に、ただただ驚くばかりでした。
普段は帰って来ても「ただいま」と言うだけで、特に私のところに来て話をすることもない息子が、真っ先に駆け寄って来たのでした。よほどショックだったのでしょう。
信号無視
事の次第はというと……。帰宅途中にある片側二車線の道路を横切る横断歩道。青信号になったのを確認し歩いていたところ、信号無視したトラックが突っ込んできたとのこと。近くにいた友だちが「危ない!」と声をかけてくれたお陰で事なきを得たのでした。
もし声をかけてくれる友だちがいなかったら……。考えただけでゾッとします。
ショックのせいかどうかは分かりませんが、冷え切った息子の身体をぎゅっと抱きしめたのでした。
信号を無視したトラックの運転手。恐らくスマホを見ていたのか、オーディオを触っていたでしょう。いずれにしろ運転中にすることではありません。ただただ怒りを覚えたことでした。
縁しだいで
しかし怒っている私自身、「運転中にスマホの操作は絶対しない」と断言していても、急に電話が鳴ったり、またメール着信の振動があったら、それに気を取られ、わき見をしてしまうことがあるかもしれません。
縁しだいでは被害側にも加害側にもなりえてしまう。車を運転するという責任の重大さと恐ろしさを、温もりをとりもどした息子の身体が知らせてくれたのでした。
(機関紙「ともしび」平成31年4月号より)
仏教あれこれ
「修行がんばって」の巻
39歳の私ですが、年齢よりも若く見られがちです。世間的には嬉しいのですが、お坊さんとしてはいいような悪いような。
先日あるお葬儀にうかがったとき、お給仕係の女性の方に、「お若いのに住職なんですねぇ」と声をかけられました。
「あ、恐れ入ります」と返事をしながら、「何歳だと思われているのかな」と、ちょっと思ってみたり。「実は40歳前です」と言うのも変だしなぁ。
この流れはきっと「住職になって何年目ですか?」と聞かれるのでは?
「実は17年目です」と言ったらそこそこびっくりされるぞ、と、その顔を想像して、ちょっと期待して待ち構えていました。
しかしそんな質問は飛び出してこず、女性はただひと言、「修行がんばってくださいね!」と言って退室していかれました。
そのとたん、なんだかすごく恥ずかしくなったのです。
たかだか10数年の住職で何を得意そうに思っていたのか。
浄土真宗の修行は、日常とかけ離れたものではなく、日常の人生の苦しみをお念仏の教えによって乗り越えていくこと。
日々に慣れて歩みが止まっていた私に、お念仏は「阿弥陀さまのお心をいただきなさいよ」と呼びかけているのでしょう。
浮かれてる場合じゃないぞと、釘をさされた気分で、静かに冷や汗がタラ~リ。
(機関紙「ともしび」平成31年4月号より)