2018年3月のともしび
常照我
撮影 フォトグラファー 田附 愛美氏
花、咲き誇る春。美しい姿を讃えることはあっても、その根を褒める人は少ない。それと同じく、目に見える「果」に一喜一憂し、その背景となる「因」まで心が及ぶことはなく、今の私を生み出した背景まで考えることはまずない。
しかし、この私の背景を「因」として、「果」としてつくられたのが他でもない浄土である。私たちの苦しみを知り尽くした願い、その目に見えないはたらきが相(すがた)となってくださったのが阿弥陀仏の浄土である。しかし、これがなかなか分からない。目に見えるものしか信用できない、結果が大事、そんな思いが邪魔をする。
だからこその春彼岸。彼の岸に浄土を思うとき、目には見えずとも、私が今ここにある背景に思いを致す。その時間を大切にしたい。
(機関紙「ともしび」平成30年3月号 「常照我」より)
親鸞聖人のことば
親鸞もこの不審ありつるに
唯円房おなじこころにてありけり。
『歎異抄』第九条(『佛光寺聖典』七九六頁)
【意訳】
(念仏申していても、飛び上がるほどの喜びもなく、早く浄土に行きたいとも思わないのは、どういったわけでしょうか、との唯円のお尋ねに対して、)
「わたくし親鸞もこの疑問を持っていましたが、唯円房も同じ気持ちだったのですね。」
浜村淳さんはすごいと評判です。何がすごいかというと、「相手から話を引き出すのが本当に上手」と。
話し上手より聞き上手
多くの人は自分が話したがるものですが、浜村さんは聞くのが上手で、相手は自然と話したくなって、もっと話したい、話しやすいと思うのだそうです。
話し上手は、話以上に聞き上手なのです。
親鸞聖人には何となくあまり話し上手なイメージはありません。文章から見える厳しさや言葉の難しさなどで、どちらかといえばジッと自己を見つめる寡黙さを感じます。そんな中、この『歎異抄』の唯円とのやりとりは、聖人の人間的なあたたかさを感じるエピソードです。
若い弟子の唯円は、聖人に恐る恐る尋ねたかもしれません。お念仏申しても喜べない。お浄土に往きたいとも思わない。今更そんなことを言ったら、こんなことでどうすると叱られるにちがいない。
耳を開く言葉
けれど唯円は覚悟して尋ねます。その唯円の思い切った問いに対し、聖人は叱るのではなく、「私も同じことを考えていた、あなたもそうだったんですね」と唯円の不安を受け止めました。
自分が話す以上に、相手の気持ちを受け止め、じっくり聞いてあげる。そして「その気持ち、分かるよ」の言葉で、聞く人の心が落ち着き、耳が開かれるのです。
そこから師弟がともに法を求めていく聞法の場が開けていきます。人生の問いを共有し、聞法の耳を育ててくださる聖人は、究極の聞き上手なのかもしれません。
(機関紙「ともしび」平成30年3月号より)
仏教あれこれ
「おでん」の巻
寒い時季にいただくおでんは、身体の芯まで温まります。湯気の上がった大根、こんにゃくなどの具材に、からしとのコントラストはたまらなく好きです。
そんな楽しみも、暖かい春の陽を浴びるとそろそろ終わりかなと思うこの頃です。
早春、地方によっては山間の食堂に、「田楽」と書いたのぼりがなびくようになります。田楽とは、竹の串に豆腐をさして炭火であぶり、味噌をつけていただくものです。豆腐は、奈良時代に中国から入ってきてから食されるようになったと言われています。
もともと田楽とは、平安時代中期に成立した、日本の伝統芸能です。田植えの前に、豊作を祈り、歌や舞をしたのです。
鎌倉時代に入りますと、演劇的な要素が加わって田楽能と称されるようになりました。
歌や舞をする田楽法師が、白袴をつけ、色物をうちかけ、鷺足で踊る姿を「御田楽」と呼ばれました。その姿が、白い豆腐に味噌を塗る形に似ていることから、省略して「おでん」になりました。
江戸時代になりますと、醤油の醸造が盛んになり、カツオ出しに醤油、砂糖、みりんを入れた甘い汁で煮込むようになりました。
江戸の川柳に、「田楽は、昔は目で見、今は食ひ」とあります。
「田楽」の「楽」には、「たのしむ」という他に、「ねがう」という意味があります。
田楽法師が謡い、舞い、そして祈ったすがたを、田んぼの風景と重ねながら、竹串の豆腐に味噌をつけ感慨深い思いで、いただいたのでした。
(機関紙「ともしび」平成30年3月号より)