2017年3月のともしび
常照我
「水仙」 撮影 藤宮 賢樹氏
弥生月は「木草、弥や生ひ茂る月」が語源という。
「弥」という文字に、いよいよ、ますますという意味があることから、春の暖かい日差しを浴びた草木が、いよいよ、ますます、芽吹く姿をこの月の名前とした。
冬鳥たちが旅支度を整える頃、ツバメが渡来。畑は耕うんされ、幾重にも畝が作られる。
そこに蒔かれた種は、無量のいのちに育まれ、やがて実りを迎える。
そんな風光を、昔の人は「壽」と書き「いのち」と読ませた。この文字の横線は、幾重にも連なる畑の畝を表している。この私も蒔かれた種と同じように、いのちのひとつであることに今更ながら気づく。
春彼岸、量り知れない壽に手を合わせる時である。
(機関紙「ともしび」平成29年3月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「箱根駅伝」の巻
年始恒例のスポーツイベントといえば箱根駅伝。到底まねできない各校選手の力走を、ぬくぬくとこたつに入りながら、テレビ観戦することを楽しみにしています。
各区間賞。箱根の山越えなど、見どころはたくさんありますが、最も盛り上がるのは、各中継所にて行われるタスキリレーの場面ではないでしょうか。中にはフラフラになりながらタスキを手渡したあと倒れこみ、担いで運ばれる選手もいます。
優勝争いはもちろんですが、十位以内に入れば与えられる来年度のシード権獲得のため、またはただひたすらにタスキを次へとつなげるため、文字通り必死の力走を続ける選手たちを見て、相田みつをさんの「自分の番 いのちのバトン」という詩を思い出しました。
「父と母で二人/父と母の両親で四人/そのまた両親で八人/こうして数えてゆくと/十代前で千二十四人/二十代前では―?/なんと百万人を超すんです/過去無量の/いのちのバトンを受けついで/いまここに/自分の番を生きている(後略)」
一世代二十年とすれば二十代で約四百年。四百年の間には、今よりもずっと貧しい時代があり、大きな戦争もありました。私が今生きているという事実の背景には、数え切れない命のリレーがあることに驚かされます。
冬空の下、力走する選手たちの姿に、今ぬくぬくとこたつに入りながらテレビを見ている、この命の有難さを教えてもらいました。
(機関紙「ともしび」平成29年3月号より)
和讃に聞く
南無阿弥陀仏をとなうれば
観音勢至はもろともに
恒沙塵数の菩薩と
かげのごとく身にそえり
浄土和讃(『佛光寺聖典』六〇一頁 一一六首)
【意訳】
南無阿弥陀仏を称えるところに、観音・勢至はありとあらゆる菩薩と一緒に、この私に片時も離れず、影のように寄り添ってくださいます。
一緒にいたいのは?
その昔、大ヒットした斉藤由貴さんの歌、「卒業」。その歌詞に「セーラーの薄いスカーフで、止まった時間を結びたい」とありますが、時よ止まれ!まさにそんな心境の方もおられるのではないでしょうか。3月、別れの季節です。
辛く悲しい別れですが、視点を変えれば、そう感じる関係が築けていたともいえます。けれども「昨日の友は今日の敵」ともいうように、人の心は変わりやすいもの。別れたくない、ずっと一緒にいたいと思った友も、もう会いたくないと思うこともあるのです。痛ましいことですが、友とだけでなく身内のなかでも起こること。
そう思うと、いただいたいのち、ずっと一緒にいたいのは、誰なのでしょうか?その時々の自分にとって都合のいい人と一緒にいることだけを望み、いただいたいのちを終えていくのでしょうか?
一緒にいてくださる
このご和讃では、南無阿弥陀仏と称えるところに、観音菩薩、勢至菩薩だけでなく、ありとあらゆる菩薩の方々が、この私に影のように寄り添ってくださると詠われています。
その昔、親鸞聖人が常陸から京に戻られる時、関東のお同行に「親鸞に会いたければお念仏を申せ」とおっしゃったと伝えられています。南無阿弥陀仏と念仏するところに、親鸞聖人と遇うことができる。それだけでなく、亡き人たちを憶念することもできるのです。向こうから、こちらに来てくださり、この私とひとつになってくださる。到来する浄土です。
それは浄土に包まれて、この世を生きることができる。私たちに届いたお念仏の利益です。
(機関紙「ともしび」平成29年3月号より)