2016年4月のともしび
常照我
「桜」 撮影 中山 知子氏
四月、新年度が始まる。
転勤や進学などで転居された方もおられるだろう。私も今まで何度か引っ越しをしてきた。
その度に、前回の引っ越しから一度も開けなかった段ボールに出会ってしまう。中を見ると、旅の思い出の小冊子、いつか読み返したい名著、夢中だった作品のDVD…どうにも捨てがたく、再び封をして新居へ。
そんな風にあれこれ溜め込んでも、それらは今ではなく、過去の自分が好きだったモノ。そしていつか死ぬ時には、全てを手放さざるを得ないのだ。
それを説かれたお釈迦さまは、最小限しか持たない遊行生活だった。
自分に本当に必要なものが明らかになった先には、持つ・持たないに囚われない生き方がひらかれるのだろう。
(機関紙「ともしび」平成28年4月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
知り合いののお宅におじゃましたときのこと。おじいちゃんが目をぎろぎろさせて怒っておられます。数年前にわずらった病気のために、半身にまひが残っていますが、まだまだ意気軒昂な方です。
「おれの治療やリハビリの計画が、おれに相談もなく、いつのまにか決められていたんだ。決めたことをおれに伝えるのは後回し。雰囲気で薄々察してはいたけど、知らされたのはリハビリ直前だ。おかしいと思う。おれのことなのに、おれに伝えるのが最後なんだ」
お話をお聞きして私は、はっとしました。自分以外の誰かがある日、病気や障害を背負ってしまった瞬間、私たちはその人を「一人前」に扱わなくなって、周りが代わりにやってあげることがその人のためなのだと、無意識に思い込んでしまうのではないでしょうか。私自身もそんなことをやってきた覚えがあります。いったいだれがいのちの主人公なのでしょうか?
ノーマライゼーションという現在の社会福祉の基礎にある考え方があります。障害のある人も病気の人も高齢者も、共に同じ社会の中で、隔離されず差別されず、普通(ノーマル)の生活ができるようにするということですが、なかなか浸透しないのは何故でしょうか?
「いのちの平等性」とすべて解っているように語りながらも、「生老病死」の中で生きている、自分以外の他の人のいのちを、見下ろし、差別し、しかもそれを愚かにも優しさと勘違いをして気付かない、私たちの変わらぬ姿があるからでしょうか?
(機関紙「ともしび」平成28年4月号より)
和讃に聞く
尊者阿難座よりたち
世尊の威光を瞻仰し
生希有心とおどろかし
未曾見とあやしみし
浄土和讃(『佛光寺聖典』五八九頁 五十一首)
【意訳】
阿難尊者は自ら席を立ち、釈尊の光り耀くお姿を仰ぎ見て、その仏の特徴を具えられた希にみる瑞相に驚き、私は未だかつてこのようなお姿の釈尊に出遇ったことはないと不思議に思いました。
毎年比叡山延暦寺の西塔地域で開催される「桜まつり」の期間中、通常は非公開である常行堂の中に入ることができます。
宗祖のご修行
蝋燭の灯りのみの薄暗い堂内には、中央に阿弥陀如来像が安置され、その周囲を歩いて周れるようになっています。
親鸞聖人は比叡山でのご修行中、常行堂の堂僧として従事されました。そこでは九十日間ひとり堂内にこもり、お念仏を称え、休むことなく阿弥陀如来の周りを歩き続ける修行を続けられたといいます。
しかし、修行を断念し、山を下りられた宗祖はそこで、師となる法然上人の導きにより、『仏説無量寿経』に説かれるお念仏の教えに出遇われたのです。
阿難の出遇い
お釈迦さまの側に常に従い、最も良く教えを聞いたとされる阿難。しかし、お釈迦さまのご入滅の様子を描いた涅槃図では、その死を道理として引き受けられず、悲しさのあまり失神する凡夫として描かれます。
『仏説無量寿経』は、凡夫である阿難の為にこそ説かれた教えです。尊者阿難の驚きは、今まで他人ごとでしかなかったお釈迦さまの教えが、初めて我が身の事実として響いてきたことへの驚きなのでしょう。
私はといえば、聞くからには何かを掴み取ろうと躍起になり、教えでさえも我がものにしようとする。それは、せっかく届いている教えに、耳を塞ぐ姿に外なりません。
教えをあなたの我がこととして、あなたの身に響かせたいという阿弥陀さまの願いが、常に「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私にはたらき続けてくださるのです。
(機関紙「ともしび」平成28年4月号より)