2015年11月のともしび
常照我
「自然(じねん)にまかせる」 撮影 谷口 良三氏
色づいた葉で、落葉しないものはありません。紅葉するのは、枝との交流がすでに断絶して起こるのだそうです。そのとき葉はもう散る準備ができているのです。
私はどうでしょうか。私も人生の枝から離される時が来ます。しかしその準備ができているでしょうか。
いのちの行方が定まって初めて、自分のいのちを見通せる世界が見えてまいります。
葉がいつ落ちても受け止める大地のあるように、私がいつ枝から離れても、受け止める大悲の御手のあることを、告げ知らせるのがお念仏です。
準備はできていなくても、阿弥陀さまの御手のなか。それだけでくすまずに、いのちを色づかせながら生きていけるのではないでしょうか。
(機関紙「ともしび」平成27年11月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「飲む人、飲まない人」の巻
所属しているある団体の総会が、近所の会館をお借りして毎年開催されます。今年、私は総会後に行われる懇親会の幹事を任されました。仕出し料理の注文や飲み物の買い出しが幹事としての主な役目です。
以前、同じ懇親会の際、ビールが冷えていなかったことをふと思い出しました。懇親会の数時間前に冷蔵庫に入れたようで、ほとんど常温に近い状態でした。その時の幹事さんが、お酒を「まったく飲まない」方だったので仕方がありませんでした。しかし心の中では、「飲まない方は、飲む者のことを分かっていない」と思ったことでした。
今回、「よく飲む」私が幹事となったので、事前にビールだけでなく日本酒もたくさん買い込んで、数日前から会場の冷蔵庫で冷やすことにしました。
前日には、おつまみまで買って「準備万全」と自信満々だったのですが、いろいろと思い返してみると、お茶やノンアルコールビールなどの「飲まない」方の飲み物をまったく買っておらず、大急ぎで買いに走ったことでした。
「飲まない方は、飲む者の…」と思っていた私でしたが、実は「飲む者も、飲まない方のことを分かっていなかった」のでした。
私の気持ちを分かってくれない。時として相手の行動を嘆くことがあります。でも、わが身に置き換えたとき、自分自身も相手の気持ちをまったく分かっていなかったのでした。
それよりも何よりも、私自身が自分のことを全く分かっていないのでしょう。
(機関紙「ともしび」平成27年11月号より)
和讃に聞く
正像末和讃
弥陀観音大勢至
大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ
有情をよぼうてのせたまう
「正像末和讃」(『佛光寺聖典』六三五頁 五十三首)
【意訳】
阿弥陀仏・観音菩薩・大勢至菩薩は、生死の海という私たちが生きている迷いの世界にあって、全ての人々を救わんという大いなる誓願のこの船にお前も乗せ、お浄土に連れてゆかんと、私たちに喚びかけ続けてくださっているのです。
もう何年も前になりますが、母方の祖母がガンを患い、最期が近づいてきた時のことです。
生死の海
ガンの疼痛と死が迫ってくる恐怖は、まさに生死の海の荒波。祖母は、そのただ中にあって、我執から手を放し、延命治療を良しとせず、いただいた寿命を全うしようとしたのでした。
「痛い」とも「何で私が」とも文句も言わず、ただ静かに畳の上にうずくまっていました。
いよいよの時が来て病院に入るまで、一人暮らしの中でその苦しみを受け止めていたことが、鮮烈に思い出されます。
闘病生活ともなれば心細く、常に誰かが見守ってくれている安心感を求めずにはおれないと思うのですが、祖母は最後まで気丈に貫き通しました。一言の愚痴ももらさず、老病死の現実を引き受ける姿に、かける言葉も見つかりませんでした。
大願の船
先に病に倒れた祖父をお浄土に見送り、自分のこの世での役割は果たしたという思いもあったのでしょうが、生死のことは阿弥陀さまにおまかせするよりないという、大願の船に乗せていただく生き方の、一つのあり方だったように思います。おまかせの世界に身をゆだねた祖母の最期は、人間のはからいを超えた阿弥陀さまの大いなる願いが届き至った姿に見えました。
ご和讃に「有情をよぼうてのせたまう」とありますが、阿弥陀さまは、私たちが元気な時も病の時も、常に「この願いの船にお前を乗せ救おうぞ」と喚びかけ続けてくださっています。その喚びかけを聞き、阿弥陀さまにおまかせして生き切ることで、死をも引き受ける安心をいただくのです。
(機関紙「ともしび」平成27年11月号より)