真宗佛光寺派 本山佛光寺

2014年11月のともしび

常照我

「光に遇えば」  撮影 谷口 良三氏「光に遇えば」  撮影 谷口 良三氏

 

吉水の草庵へと参り来る多くの人々。その様子を見て微笑まれる法然上人。
 その隣には、そのような法然上人の姿から何かを感じ取ろうと、じっと師を見つめる若かりし親鸞聖人がいる。
 聖人八十八歳、最晩年にしたためられた手紙には、「愚者になりて往生す」という師の言葉とともに、五十年以上も前の情景が、ありありと描かれる。
 そこには、師の教え、教えによって知らされた我が身の事実、その愚身にこそかけられる仏の悲願を、生涯をつうじて確かめ続け、その恩徳に報いたいと願う聖人の姿があろう。
 今年も御正忌報恩講の季節がめぐり来る。
 親鸞聖人を「宗祖」と呼ぶ私たちの、その内実をもういちど確かめたい。

  (機関紙「ともしび」平成26年11月号 「常照我」より)

仏教あれこれ

「写真」の巻

デジタルカメラの普及で、以前と比べ、写真を撮ることも、撮られる機会も多くなったのではないでしょうか。「私」という被写体は変わらないのに、自分が見ても「なかなか写りがいい」と思う写真もあれば、「これはちょっと…」と思う場合もあります。光の当たり方、着ている服の色など、技術的なことも影響しますが、撮る人と撮られる人の関係が、実は大事なのかも知れません。
 あるカメラマンの方が、こんなことを仰っていました。「被写体に対して、常に尊敬のこころを持って撮影する」。確かにその方が撮った写真は、どれも凛とした厳しさのなかにも、温かさのある写真でした。その写真を見て、この人が撮っているのは被写体ではなく、被写体を通した、この人自身なのだと思いました。
 これは、私たちの日常でもいえることかも知れません。ちょっとした行き違いから心がザワつき、思わず他人を傷付けるようなことを、口にすることもあるかも知れません。けれども、自分の口をついて出た悲しい言葉を通して語られているのは、言葉を口にした人自身。他でもない、自分自身なんですね。「こんな見方で人を見ていますよ」「こうして人を判断していますよ」と、言っているのと同じなんです。  どんなときでも、ほんの少しの尊敬を持って人と向き合えたら。と、いつにも増して写りの悪い写真に文句を言いながらも、そんなことをふと思った秋でした。

 

 (機関紙「ともしび」平成26年11月号より)

 

 

和讃に聞く

 

弥陀の本願信ずべし
本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり



「正像末和讃」(『佛光寺聖典』六二六頁一首)

 

【意訳】

 阿弥陀仏の本願を信じましょう。信ずる人はみな、無条件に摂め取って見捨てないと誓われた本願の利益によって、比類なき無上の境界に、生きることができるのですから。

 このご和讃を書かれる直前、親鸞聖人は、長男の善鸞さまを事情があって義絶しておられます。親子の縁を切ってしまわれたのでしたが、その哀しみと苦悩の中から、こんな高らかな阿弥陀さまへの讃歌を、表白されました。

 逆境だからこそ
 当時、八十五歳のご高齢、それを考えますと、私たちなら教えを喜ぶどころではなくなるとも思われますが、聖人はかえって「にもかかわらず」信心の喜びを謳い上げられたのです。  それは、苦悩の只中にいる他ならぬこの私のためのご本願だった、と改めて気づかれ「だからこそ」でした、と受けとめられたからなのでしょう。
 「苦しい時の神だのみ」などではなく、この苦しみあるゆえにご本願が建てられていた、と
いただき直すのです。

 涙の、その後
  「泣いて馬謖を斬る」という故事があります。
 中国の三国時代、蜀の諸葛孔明の可愛がっていた配下の将、馬謖が、大任を任されたことを過信して軍を大敗させてしまいます。孔明は軍規を保つため、泣く泣く馬謖を斬ったとか。
 仏法といくさとでは、むろん比較はできませんが、この時の孔明とさきの聖人の心の中は、似通ったものがあったかもしれません。
 違うのは、流した涙のその後でありましょう。

 孔明が、立場上、その次のいくさに馬謖抜きで何としても勝利しなければならなかったことに比べて、聖人は、いよいよご本願を仰いでいくという信のよろこびに生きることにより、善鸞さま義絶を、さらなる仏縁に転じていかれたからです。

 

 (機関紙「ともしび」平成26年11月号より)

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