2014年8月のともしび
常照我
「一滴の水にはじまる」 撮影 谷口 良三氏
サッカーワールドカップが閉幕した。この時ばかりは、皆が思いをひとつに選手へと託す。
試合開始時間を確認すれば、日本の午前十時は、現地の午後十時。ブラジルが地球の裏側であったと改めて気づいた。
私たちが一日の終わりに見送る夕日は、ブラジルで始まりを告げる朝日となる。同じ太陽を一方では沈むと言い、もう一方では昇ると言う。そもそも、ブラジルの人からすれば、こちらが地球の裏側である。
私たちは皆、それぞれの立場を中心に、異なる眼で世界を見ている。人間が繰り返す争いは、異なる立場と都合とを、互いに押し付け合った結果であろう。
終戦の八月。一瞬でも同じ思いを共有した今だからこそ、先ずは隣人と認め合いたい。私とあなたとは違う人間なのだと。
(機関紙「ともしび」平成26年8月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「たなごころ」の巻
お寺の東側は農道。自転車で通学する学生、犬を連れたおばさん、散歩するご夫婦と様々な方が通られます。
あるおばあちゃんの話です。必ずお寺の前で立ち止まり、手を、パンパンと二度打ち合掌されます。日曜日のこと、お孫さんと一緒でした。ひとりはベビーカーの中。もうひとりは、手をつないだ男の子。いつものように、パンパンと手を打って拝んだおばあちゃん、横にいる男の子に、こうするのよと手を取り教えていました。その子は、わかったよという顔をして同じように手を打ち合掌しました。 見ていた私はひと言、声をかけることにしました。草履をはき玄関を開けようとしたところ、二人があまりにも深々と拝んでいるので、言うことをためらいました。
その時ちょっとまてよ、作法より合掌するすがたが尊いのではないかと思いました。ご法事の時も、数珠をすり合わせる方、両手をしっかり握る方と様々ですが思いは一緒です。そうか、あれは柏手ではなく合掌のリズムなのだ。
その後、時折見かけるふたりは、お寺の前で立ち止まり、手を打ってお参りされます。あの子が大きくなって「坊さん、何で教えてくれなかったの」とたずねられるのが楽しみです。
幼い頃、祖母の前で父の真似だと茶碗を木魚に、念仏を題目にふざけたことがありました。また毎日、タンスの上の小さな仏壇にご飯を供え、手を合わせる祖母の横にいました。そうか、私の合掌もそんな思い出によって生まれていたのだなと掌を見つめたのでした。
(機関紙「ともしび」平成26年8月号より)
聖典の言葉
「浄土和讃」
若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは
往生かならずさだまりぬ
(『佛光寺聖典』五八四頁二六首)
【意訳】
阿弥陀仏が私を「必ず浄土に生まれさせる」とお誓いくださるから、信心の開け発る時が至って、その誓いをいただき喜ぶひとは、必ず往生する身と定まるのです。
先日、あるご老僧をお浄土へお送りさせていただきました。 ガンの手術後から腹水に苦しみ、 最期の数か月は内臓が弱って食事も摂れず、寝たきりでした。 ご家族にもご本人にも、これからどうなっていくのかは明らかでした。
そこでお互いに覚悟をして「 お父ちゃんに何でも言おう」と いう事になり、奥様が老僧に「今までありがとう、楽しかっ たね」と仰ったそうです。
すると老僧は衰弱した体でこうお答えになりました、「いまも…」と。
今も楽しい
「信はいつでも一念」、老僧の日ごろの言葉です。お念仏の信心は、昨日頂戴したとか、何年前に頂戴したというものではなく、いつでも”今”聞こえてくる「必ずたすける」という阿弥陀さまのよび声をいただくことです。そしていのちはいつも始めて経験する”ただいま”の上に味わうものなのです。
それはつねに阿弥陀さまと出遇っている人生だったのでしょう。和讃の”一念慶喜”とは、一度の喜びというだけでなく、瞬間瞬間出遇ういのちの上にお念仏を喜ぶことなのです。
生老病死のなかで
「楽しかったね」の言葉に「 いまも」と答えた老僧の人生に は過去形がないのです。いつでもただ今のいのちを「今も楽しい」と味わっておられたのです。
その”楽しい”が、快楽でないことは明らかです。いのちは 厳しい生老病死のただ中です。 しかしお念仏をいただく今、往く先はお浄土と決めていただいています。だからこそ安心して、 命終わっていけるのでしょう。 老僧は、まさに常の言葉のままのご往生を遂げられたのでした。
(機関紙「ともしび」平成26年7月号より)