2014年7月のともしび
常照我
「大海を知る」 撮影 谷口 良三氏
梅雨にシトシトとは、今は昔。近年はザーザー、ザブザブの方がお似合いか。
昨年も、幾度となく「観測史上最多」という報道を耳にした。
水浸しとなった街。想定外の雨量は大きな被害をもたらす。
どこで起こってもおかしくはない。しかし次の一瞬、頭をよぎるのは「ここじゃなくてよかった…」。心配顔の下に覗くのは、偽らざる本性である。
標題にある「常照我」、常に我を照らしたもう仏の光明は、射すがごとくに厳しく、私の闇を明かす。だからこそ見捨てないと慈しむその心に、いよいよ我が身のいたらなさを知る。
そのはたらきは、如何なる時・場所も選ばない。聞法を通し、お念仏の教えとなって私に到り届く。梅雨空の下、常なる光明を感じたい。
(機関紙「ともしび」平成26年7月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「縁切り餅」の巻
先日、九州に住む知人の父が亡くなり、葬儀にお参りさせていただいたときのこと。
おつとめが終わり、やがて出棺というときに直径4センチほどのお餅が、遺族、親族らに配られました。
言葉を交わすこともなく、出棺前に食するこのお餅。
「縁切り餅」と呼ばれ、古くからこの地に伝わる習慣ということでした。
生前中におじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんと慣れ親しんできた人に対して亡くなったとたん「縁切り…」とはずいぶん冷たい言い方だと思いましたが、よくよく聞いてみると、そこには先人の知恵が生かされていました。
誰でも、大切な人を亡くすということは悲しい…。誰でも、大切な人を亡くすということは悲しい…。
だが、いつまでも悲しんでいるだけでは、故人への供養にはならない。この「縁切り餅」は故人と縁を切るという意味ではなく、遺された家族が悲しみを超えて、ここから力強く生きていく誓いの意味がある。ほんとうの供養というのは、ここから始まると教えていただきました。
生まれかわり、死にかわりして、私一人まで至り届いたいのちの伝承を思うとき、「縁切り」という言葉とまでなった切れぬ御縁のつながりを思わずにはおれません。
(機関紙「ともしび」平成26年7月号より)
聖典の言葉
「浄土和讃」
安楽浄土にいたるひと
五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて
利益衆生はきわもなし
(『佛光寺聖典』五八三頁二〇首)
【意訳】
弥陀の浄土に生まれるものは、濁りきったこの世にいるものに対して「お念仏とともに生きよ」と、はたらきかけてくださいます。
そのはたらきはお釈迦さまと同じように、すばらしく限りがありません。
あるご門徒さんのご自宅で五十回忌法要が勤まりました。法要には、故人のお孫さんである六・七十歳代の方々が一堂に会していました。
大きな声でお勤め
「お祖父さまの思い出を教えてください」。こうお尋ねしたところ、皆さんが口を揃えておっしゃいました。「厳格な人だった」と。
でも、厳しいだけでなく、お念仏をよろこばれた方でもあったそうです。毎朝、毎夕、 欠かすことなくお内仏の前でお勤めされ、特に、お夕事の際は、学校や遊びから帰ってきたお孫さんを集め、皆にお経本を配ってお勤めされました。
お孫さんも大きな声で一生懸命お勤めしたそうです。なぜなら、そのあとには、お楽しみの夕食が待っていたからだとか。
法要の際、皆さんにお経本をお配りしました。故人をしのびつつ、お勤めする姿は、五十年以上前の思い出の風景と重なったことでしょう。
お念仏をともに
上記のご和讃は年忌法要のお勤めによく用いられます。
「教えに生きる方のお念仏は、その人だけにとどまらず、周りの方をも、お念仏とともに生きる人生に導くはたらきがある」ことを教えてくださっているご和讃です。
お勤めするお祖父さまの姿は時を超えて、たくさんのお孫さんの心の中にいつまでもはたらき続けていたのでした。
お孫さん方は、現在、当時のお祖父さまと同年代になり、それぞれの家で、お経の声、お念仏の声を伝えられていることでしょう。
教えに生きたお祖父さまのことを思い出しながら。
(機関紙「ともしび」平成26年7月号より)