真宗佛光寺派 本山佛光寺

2014年5月のともしび

常照我

「みんな違って みんないい」  撮影 谷口 良三氏「岩陰に躍動する」  撮影 谷口 良三氏

 

「勉強すればできるのだから」学校で勉めを強いられていた頃、よく聞かされた言葉だ。
 今思えば、やればできる、ではなく、やろうともしない私であったのだろう。
 お念仏の教えは、頭で知るものではなく、我が身に聞くものだと教えられる。その言葉さえ頭で理解し、教えを聞くことに心を向けようとしない。何も変わらない自分に気づく。
 そこには、他人を妬み、名声を求め…数え上げればきりがない、我が身の暗い闇にふたをして、日常に埋没する私がいる。
 勉強とは違い、聞法は決して強いられるものではない。しかし、心が向こうとしないのなら。 「せめて、その身だけでも聞法の場へ運んでおくれ。さもないと君、手遅れになってしまうぞ」と、先達は語りかける。

 

  (機関紙「ともしび」平成26年5月号 「常照我」より)

仏教あれこれ

 「偽ブランド」の巻

先日ご門徒さんから、偽ブランドを売るお店に迷い込まれた話を伺いました。
 狭い店内には色々な商品があり、その全てが本物と区別のつかない精巧さで、値段は本物の10分の1近く。唖然として見ていると、お店の方に、「何のブランドを探しているの?」と声を掛けられ、咄嗟に自分がその時に持っていた鞄のブランド名を伝えたそうです。すると「それはダメよ。あなたが持っているのは、本物でしょ?本物を知っていたら偽物がすぐにわかるわ」と店員さん。
 何もこれはブランド品だけではなく、書画、宝飾品、食べ物…にもいえることで、本物に出会って、初めて偽物と気付くことができます。そして、いよいよ本物のすばらしさが知らされてくるのです。
 その話を聞いて、なるほどなと思いました。私たちが生活をしているのは、「穢土」と呼ばれる汚れた世界です。それに対して清らかな世界を「浄土」といいます。
 精巧に作られた偽のブランド品だけを見ている人には、それが偽物と分からないように、穢土に身を置く人にはそこが棲家となり、穢土に生きているとも気づかず、もちろん浄土も分かりません。
 大切なことは、本物に出遇い、知らされ、偽物を自覚するようになること。つまり、迷いを越えた清らかな世界(真)があることに気づかせていただき、自分の都合を拠り所とする迷いの世界に生きている私を自覚(偽)させていただくことです。そのことによって、今の私が変わるのではないでしょうか。

 

 (機関紙「ともしび」平成26年5月号より)

 

 

和讃に聞く

 

「正像末和讃」

よしあしの文字をもしらぬひとはみな
まことのこころなりけるを
善悪の字しりがおは
おおそらごとのかたちなり



(『佛光寺聖典』六四八頁))

 

【意訳】

 尽きることのない阿弥陀さまの智慧の光は、自分で全て分かったつもりになって、まことのありように気づかない私の姿を明らかに照らし出してくださいます。そのお心を疑いなくいただいた時、「必ず救わん」という阿弥陀さまの願いにたすけられるのです。

 タイのバンコクへ一人旅をした時のこと。初めて飛行機もホテルも自分で手配し、市内観光も自分の足で歩いて回りました。インターネットを駆使すれば、他国の情報も簡単に入手可能な時代。悪天候で飛行機が半日遅延しましたが、ネットで運行状況を調べて慌てず対処。色々な事態に独力で対応できたことに、万能感さえ覚えたものでした。
 誰のお世話にもならず自分でやった、と満足していましたが、とんでもない勘違い。力を尽くして遅延の対応にあたっている航空会社の人達の姿を見て、私は、整備された交通機関やネットという情報ツールに便乗していただけで、実際は多くのはたらきに支えられていたことに気づかされました。



 わかっちゃいるけど

 「すばらしい歌詞だ。これは、宗祖親鸞聖人の教えそのものだ。がんばってこい!」
 父の言葉は意外なものでした。
このひと言で、植木さんは歌うことを決意。そして、あの大ヒットにつながります。

 この歌の中には「わかっちゃいるけど、やめられない」というおなじみの歌詞がありますが、頭で理解は出来てもやってしまうのが、私たちではないでしょうか。

 やめられない
 正直なことは善いこと、嘘をつくことは悪いこと。
 生き物を可愛がるのは善いこと、生き物を殺すのは悪いこと。 頭では、ちゃんとわかっています。
 わかっているのに嘘をつき、他の命を奪わなければ、生きることのできないのが、私たちの身の事実です。
 何でも知っている、わかっている。
 自我を中心とした善悪の尺度を確かなものとするその思い込みこそが、お念仏の教えを聞かせていただく耳を塞いでいるのではないでしょうか。

 

 (機関紙「ともしび」平成26年5月号より)

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