2013年8月のともしび
常照我
「仲間とともに」 撮影 谷口 良三氏
「この猛暑、老の身にはこたえましょう。どうぞお大事に」と親切に書き添えあり。作家・住井すゑさんが老年、知人からいただいた「暑中見舞」だ。
住井さんはしかし、気持を汲みつつも違和感を憶える。
茨城県・牛久沼畔で物を書くかたわら農業に従事していた住井さんにとって、夏はうんと暑く、冬は寒いほど作物の実りはよい。老齢でも元気だったので余計なお世話、とも思った。返信はしなかったが、するならむしろ「大暑祝着」冬ならば「厳寒大慶」と書きたいところ、という(『牛久沼のほとり』)。
「暑中見舞」や「寒中見舞」が、ひたすら生活の快適さをのみ求めてきた私たちの「発想」だったことに改めて気づく。
自分を疑い問い直す、仏法聴聞のその糸口としたい。
(機関紙「ともしび」平成25年8月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「山号」の巻
「お寺の名前の上に、よく○○山って書いてあるけど、どこにある山なんですか?」
先日、ある法事の席でこのような質問を受けました。
実はこの山、どこかにそういう山があるのではなく「山号」といい、すべての寺院についているものではありません。
古く日本人は、霊峰富士という呼び名が示すとおり、畏怖と崇敬の念から「山」を特別な場所として見てきました。
「山号」の歴史について諸説ありますが、民俗学者・柳田国男氏によると、日本人は昔から、人は死ねば山に帰っていくと、ごく自然に信じられていたと言います。
先祖に対する崇敬の念から○○山○○寺と呼び習わされてきたようです。
また、聖道門では修業の適地に寺院を建立し、その山の名を寺号に冠したとも言われています。比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺などはその例です。
そして後世には、平地に建つ寺院にも縁のある語を用いた山号が冠せられるようになったとの説もあります。
一宗一派の寺院を統括する長たる寺院を「本山」というのも、私たちにとって特別な場所という強い念いの顕れでありましょう。
いまはなき先師が、本山に出向くことを「山に行く」と言っていたことを懐かしく思い出します。
不思議なもので、お寺の入口となる門を「寺門」と言わず「山門」といいます。
私一人にまで届いたお念仏の教えを思うとき、この門をくぐらせていただく不思議を感ぜずにはおれません。
(機関紙「ともしび」平成25年8月号より)
和讃に聞く
高僧和讃
金剛堅固の信心の
さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して
ながく生死をへだてける
(『佛光寺聖典』617頁77首)
【意訳】
私たちの上にゆるぎない信心が決定する機が熟する時を、常に待ち受けてくださっている仏さまの大いなる慈悲のお心の光に護られて、私たちは生死の迷いの世界から抜け出せるのです。
「ねえねえ、このほん、よんでー」と年の離れた妹が絵本を持ってきます。「んー、これ読み終わってから、後でね」そっけなく断る私。当時は私もまだまだ子ども。読んでいたマンガを中断されたくなかったのです。
そして読み終わり、今ならいいよ、となった時には、今度は妹のほうが他のことに興味が移っていて、もう自分は必要とされておらず、寂しい限り…。
合ったり合わなかったり
自分の都合中心で動いていると、このように時機を逸してしまうことがよくあります。逆に、互いのタイミングがピタッと合って、今読んで欲しい時に絵本を読んでもらえた時は、妹もとても嬉しそうでした。
私たちの日常は、そのように互いの都合によって、時機がうまく合ったり合わなかったり。相手に求められたいと思いながらも、自分の都合の良い時には喜んで応えるけれども、都合の悪い時には応じられない。
仏さまは違います。仏さまは、文字通り絶え間なく、私たちを見守ってくださっています。
まちえてぞ
「南無阿弥陀仏」とは、真実の生き方に気づけよ、という仏さまの喚び声。いつ気づくとも知れぬ私に対して、飽くことなく常にそのように喚びかけてくださっています。私に機が熟すのを常に待ち続けてくださっているからこそ、私が仏さまのお心を受け取った今その時を逃しません。
私はこのご和讃の「まちえてぞ」というお言葉を通して、仏さまが本当に常に私を見守ってくださっていたのだと気づかされた時、そのお心のはかり知れなさに、自然と頭が下がりました。
(機関紙「ともしび」平成25年8月号より)