2012年11月のともしび
常照我
宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要 大正琴の演奏 画 佐藤政治
1+1=2
紙の上では、これ以外に答えを見い出すことはできない。
しかし、私たちの生活に照らし合わせてみるとどうだろうか。
こんなはずではなかった。
そんなつもりではなかった。
ときとして現実は、自我のソロバンではじき出したものとは違う答えを打ち出すことがある。
善悪のふたつ総じてもって
存知せざるなり。
『歎異抄』
何が善で、何が悪か。
宗祖のことばは、何でも分かっているはず、分かったつもりの私をつかんで放さない。
思いどおりにならないことを嘆く私に、思いを超えたお念仏の教え。
答えを求める私に問いが見つかるとき、新たな一歩が始まる。
(機関紙「ともしび」平成24年11月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「あみだくじ」の巻
「♪あみだくじ、あみだくじ、ひいて楽しいあみだくじ~。」
人数分の縦線を引いたところに任意の横棒を足して、階段状 に線をたどっていく「あみだくじ」は役割などの当たり外れを 決める時に誰もが一度は使ったことがあるのではないでしょうか。このあみだくじの語源はやはり「阿弥陀くじ」。
元々は真ん中から外に向かう放射線状の線だったようで、阿弥陀仏の光背が放射線状をしているものがあることから、それに似たこのくじを「あみだくじ」と呼ぶようになったとか。室町時代、寄合いで茶菓子を買う時に行われたそうです。隠された放射線の内側にはバラバラの金額が書かれ、引き当てた金額を各々が出して菓子を購入し、平等に分けたそうです。「あみだくじ」と言われたのは明治以後で、当時は「阿弥陀の光」と呼ばれていたそうです。
ところで阿弥陀仏の光明には、その光の中に一切を摂めて、もらさず、平等に救うというはたらきがあります。能力のある者、ない者も分け隔てなく平等に救うのが阿弥陀さまなのです。
その意のままとはいかないまでも、払う者、払わない者がいてもみんな空クジなし。平等にお菓子を分け合えるあたり、「いくら出すかは阿弥陀の光に決めて頂こう、そして平等にお菓子を頂こう。」
考案した人物は、なかなか粋な人だったのかもしれませんね。
(機関紙「ともしび」平成24年11月号より)
和讃に聞く
浄土和讃
光雲無礙如虚空
一切の有礙にさわりなし
光沢かぶらぬものぞなき
難思議を帰命せよ
(『佛光寺聖典』五八一頁 六首)
【意訳】
阿弥陀の光明は、何の礙げもなく、雲が大空を駆け回るように、すべてのものに恵みと潤いを与えてくださる。不思議の阿弥陀をたのみとせよ。
ひかりくも
冒頭の「光雲」について、親鸞聖人は「ひかりくも」と註をされています。「光り輝く雲」とは、西の空いっぱいが茜に染まる夕焼けの雲でしょうか。ご来光に輝く曙の雲でしょうか。
どちらにも味わえると思いますが、夕焼け、朝焼けに感動できる素朴なこころは失いたくないものです。
母の病状が進んで、もう見守るしかできない頃のことです。病室は西に面し、日中は遮光カーテンで西日を遮っていましたが、夕刻にカーテンを開けると、やわらかな光が一気に部屋中を満たしました。小さく「うわぁ」と嬉しそうな声がして、表情も少なくなっていた母の顔が、ひととき本当に和らぎました。
光沢をいただく
「光」はどんな場所にも礙げなく降り注ぎます。親鸞聖人は「無礙」という言葉に「さわりなきこと そらのごとしとなり」と註をされ、光は我が家にも隣家にも、隔てはありません。
また「沢」は潤いで、光は潤いとなって、私たちの乾いた心を潤します。夜露や朝露が真夏の草花を潤し、育てるように。
難思議
夕焼けはあっという間に色褪せるものです。病室を潤した光も、すぐにほの暗い日常に戻り、母の顔も日常に戻りました。でもあの一瞬の「光沢」は、不思議といつまでも記憶に残っているのです。もう治療の及ばない病室の枕辺にまで、「光沢」を運んできてくれたさわりなき光。
光のはたらきなのに、何か自分が献身的に看病し、親孝行でもしたような気になっている、私の奥底の闇までも常に教え、照らし出してくれるのです。
(機関紙「ともしび」平成24年11月号より)
一語一縁
俺が死んだら癌も死ぬ
禅宗僧侶で教育者でもある無着成恭氏のお父さんの亡くなる前の言葉。
分別するこころ
あれはあれ、これはこれと分けて考えることを、私たちはふだん行っています。
ゴミの分別などはその具体例で、分けることは善でありモラルであり、反対に分けなければ非難の的にもなります。
精神面では、大人は分別を持たなければなりません。
分別心が欠落していると、社会ではなかなか通用させてもらえなくなるからです。
けれども仏教では、この分別心を必ずしも評価しません。つまるところ分けたがるのは自分の都合、社会の都合であるとしむしろ分けない智慧、仏さまの分けへだてを必要としない智慧「無分別智」を説くのです。
分別しないこころ
かつて、ラジオの『全国こども電話相談室』のレギュラー回答者として人気の高かった無着成恭さん。まだお若いころ、住職であったお父さんを癌で喪いました。
癌の進行で苦しそうに見える病床のお父さんに、成恭少年は聞きます。
「お父さん、苦しいかい?」
それには答えず、お父さんは次のように言われたのでした。
「俺が死んだら癌も死ぬ。俺だけが死んで癌が生き残るんじゃないんだ。俺が死んだら癌も死ぬ。 だから…、いいんだ」
この言葉は、少年の成恭さんのこころを揺さぶります。
仏さまの無分別智は、お父さんとお父さんの中に出来た癌を分けません。その智慧が至り届いた時、お父さんは自分と癌がひとつの世界に安住出来たのです。最後のセリフも投げやりなどではなく、納得した末の呟きだったと聞こえてきます。
(機関紙「ともしび」平成24年11月号より)