真宗佛光寺派 本山佛光寺

2012年1月のともしび

御親教

門主 渋谷 惠照

 本日は五十年に一度となります御祥当報恩講に、ようこそお参りくださいました。ただ今は、春の大遠忌法要にお勤めしました行譜正信偈三首引を、ご参詣の皆様方と共々に唱和できましたこと、大変有難く嬉しく思っています。
 ご開山親鸞聖人が弘長二年十一月二十八日にご往生されて、今年が七五〇年目になります。本山佛光寺では五月二十日から二十八日までの九日間にわたり、全国より一万五千人余りの参詣者を得まして、宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌法要を厳修いたしました。ご参詣の皆様方と共に聖人のご遺徳を偲びつつ、報恩謝徳の喜びに浸ったことでございます。そして、明年の四月三日に御真骨を安置しております本廟での法要をお勤めして、本山での大遠忌法要が円成する運びとなっています。
 さて、今年は東日本大震災、それに伴う福島第一原子力発電所の事故を始めとして多くの災害が生じ、大勢の方々が被害に遭われましたことはなんとも悲しくも痛ましい出来事でありました。また世界の至る所で争いが生じ、戦いの止むことがありません。これも人間の悲しい現実の姿です。
 親鸞聖人は、『浄土和讃』の「讃阿弥陀仏偈和讃」の二首目に、
  智慧の光明はかりなし
  有量の諸相ことごとく
  光暁かむらぬものはなし
  真実明に帰命せよ

と詠んでおられます。私たちのありのままの姿を照らし出し、真実の道へと導いて下さる阿弥陀仏の智慧光を讃嘆されたものです。聖人は、その和讃の「真実明」という意味を「阿弥陀如来なり。」と記されています。
 煩悩具足である私たちは、自分で自分の姿を知ることはできません。闇を闇とも気付かずにいよいよ迷いを深めてゆくのです。その私たちの迷いの姿をくまなく照らしてくださるのが阿弥陀仏の智慧のみ光であるといただくことができます。そのみ光を仰いでゆくことこそが大切であると私たちにお示し下さっているのです。
 親鸞聖人を宗祖としていただく私たちは、今こそお念仏を真のよりどころとして聞法の歩みを続けることが肝要かと存じます。
 これからも、各お末寺でも大遠忌法要がお勤まりになるものと思います。そうした仏縁を大切にされ、お念仏の輪が広がりますことを切に念願するばかりです。本日はようこそお参り下さいました。
(平成二十三年 御祥当報恩講)

年頭のご挨拶

宗務総長 大谷 義博

 昨年は、皆様と共に宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌法要のご縁をいただき、千載一遇の感激の年でありました。明けまして、七五一年目の新年をお迎えし、ここに謹んで年頭のご挨拶を申し上げる次第であります。
 まずもって、大遠忌に対し皆様から懇親のご支援を頂き、更に十日間にわたる大勢のご参詣を賜りましたこと、心から御礼を申し上げます。
 御祥当に当たる昨年十一月二十八日には各別に重い法要として、恵照ご門主様が全国のお末寺に「御消息」を発布され、お念仏の生活をお勧めになられたことであります。
 重ねて御親教の中において「浄土和讃」の一首
  智慧の光明はかりなし
  有量の諸相ことごとく
  光暁かぶらぬものはなし
  真実明に帰命せよ

をお引きになり、人間のいのちの中に流れている、はかり知れない智慧、慈悲が一人ひとりを輝かすといただだかれたことであります。
 思わず、金子みすずの詩「みんなちがって、みんないい」を思いおこしました。


  私と小鳥と鈴と

 私が両手をひろげても
 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥は私のように
 地面を速くは走れない

 私がからだをゆすっても
 きれいな音は出ないけど

 あの鳴る鈴は私のように
 たくさんな唄は知らないよ

 鈴と、小鳥と、それから私
 みんなちがって、みんないい

 

 こんな豊かな感性は、先がけてご和讃に顕わされております。しかし、なぜか要求が叶えられたり条件に恵まれたりしたところでは芽吹きにくいようです。むしろ苦境にあるとき白い花は白い光、赤い花は赤い光を輝かすように発露してくるようです。
 知的障害をもつある十七才の方が部品の一部を手伝いするところに就職し、月給一万五千円をもらって帰ってきました。母親が何に使うのと尋ねると「震災のお見舞いにして」と答えたそうです。暇があればテレビを見ていたためか、思いがけない、この子の心情に涙が止まらなかったと報道されていました。こんなところにも深い絆を思わされたことでありました。
 今年も仏さまから投げかけられてくる「糸」が「半」人前の私に掛けられてくることを絆と受け止め歩んでいきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

常照我

中庭の鳥 画 佐藤政治中庭の鳥 画 佐藤政治

 

 正月といえば初詣、初夢そして初日の出。でも月が変わっただけで初ごとにしているのも妙なものです。
 また新年の抱負を語るのもこの時期ですが、目標にとどまらず、欲望に満ちあふれた願いまでもが入り交じることも。
 しかも時としてこの私の願いは、仏さまにも向けられます。自らの都合に合わせて仏さまの願いまでをも自分の願いに置き換えてしまう私。
 そんな私だからこそ、仏法は耳の痛いことばかり。ともすれば、その話は以前に聞いたからもういい、と。止むことのない我がはからいに満ちあふれた私にとって、聴聞はいつでも初ごとなのに。
 自らの思いを破る仏法に耳を傾ける、一生に一度きりの今年が始まったのです。

 

  (機関紙「ともしび」平成24年1月号 「常照我」より)

仏教あれこれ

「祇園精舎」の巻

 「祇園精舎」と聞けば「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」と頭に浮かぶかもしれません。また京都の舞妓さんや祇園祭を連想される方もおられるでしょう。
 確かに京都祇園の地名は、祇園精舎が由来ですが、もとはインドに存在していました。
 旅を続けておられたお釈迦様は、布教の為にお弟子と共にインド内のコーサラ国に赴かれました。そこに住むスダッタというお金持ちは、寺を寄付しようと思い立ちます。ところが見つかった土地は、その国の王子が所有する美しい樹林だったのです。
 王子は「土地全体に隙間なく金貨を並べたら譲る」と、途方もない条件を出しました。しかし、スダッタは屈することなく土地全部に黄金を敷き詰めたのです。全財産を投じてまで買い取ろうとするその熱心さと固い意志に負けて、王子はついにその素晴らしい樹林を無償で寄進したと伝えられています。
 インドにあった祇園精舎の様相は遠く日本にまで伝えられ、平家物語冒頭に登場します。日本人が親しみ誰もがよく知っている有名な古典の中に、お釈迦様の教えの本質である諸行無常(万物は常に変化して少しの間もとどまるということがない)と書かれてあることは感慨深く思われます。
 スダッタの志によって建立された祇園精舎は、お釈迦様も滞在され、伝道や修行の拠点になりました。
 今は広くのどかな跡地が残されています。

 

 (機関紙「ともしび」平成24年1月号より)

 

 
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