真宗佛光寺派 本山佛光寺

2011年12月のともしび

常照我

画 佐藤政治画 佐藤政治

 

 十二月八日はお釈迦さまがおさとりをひらかれた日です。
 そんな一年締めくくりの月。今年は多くの自然災害に見舞われた年であると同時に、人の絆を実感した年でもありました。
 私自身も被災地に向けて何か支援せずにはいられないという思いのもと動いたことでした。
 しかし少し立ち止まって考えてみると、そんな行動の中に、私がしてあげているというような思いはなかったのか、と。
 支えているのだという一方的な思いから離れられない私。そう思い込んでいる私も支えられているという事実を忘れて。
 お釈迦さまは、すべてのものは縁によって成り立ち、単独では存在できないと説かれました。
 支えあっているのではなく、支えられあっているのが絆なのでしょう。

 

  (機関紙「ともしび」平成23年12月号 「常照我」より)

仏教あれこれ

「西方浄土」の巻

 十二月に入ると、夕暮れがどんどん早くなっていきます。
 美しい夕焼け雲をながめていると、遊び疲れて家路を急いだ子どもの頃の夕空が、懐かしく思い出されます。
 仏教では、方角によせて、それぞれの法義をあらわすことがよくあります。
 東とは、日の出はじめる方角で、一日の始まりをあらわすところから、万物の根源や、悟りの智慧をあらわしています。そこで、万物の根源を一切空としらせ、空を悟る智慧を説く「般若経」には、悟りを求めて東方に向かう求道者の旅が描かれています。
 また、南とは、太陽に向かう、陽の光をうける正面という意味のあるところから、まっすぐ仏の世界に向かっていくとか、心の視野が明るく開けていくという意味をあらわしています。ですから、「華厳経」に説かれている、悟りの世界に向かって人生の師をたずねていった善財童子の求道の旅は、南の方角がふさわしいといえます。
 それに対して西とは、太陽の沈む方向、夕方という意味の他に、古代のインドの言葉では「後」という意味があります。インドの人たちは西という方角に、人生の終わった後に帰るべきいのちの故郷を感じたにちがいありません。
 一日中飛び回っていた鳥たちが、夕方いっせいにねぐらに帰って静かな夜をむかえるように、あわただしく過ぎた一生をふりかえりながら、私たちが帰る安らかな浄土は、やはり西方にあってくださるのがありがたいなあと、しみじみ思います。

 

 (機関紙「ともしび」平成23年12月号より)

 

聖典の言葉

教行信証

雑行を棄てて本願に帰す

 

【意訳】

 私が確かなものとしている価値観を拠り処とするのではなく、仏さまの教えを拠り処として歩ませていただきます。

 人生には、さまざまな[出あい]があります。
 親鸞聖人と法然上人との出遇い、それは出遇う前と後とでは、自身の生き方が一変する劇的な出遇いでありました


一変する出遇い

 比叡山を下り、法然上人と出遇われた親鸞聖人は、その感動を上記のことばとして主著『教行信証』に著されています。
 自身の生き方が一変する出遇い、それは人間の視点を中心に据え、狭い視野の中であれこれと推し量るあり方から、仏さまの教えを拠り処として生きるダイナミックな転換でありました。

 

「捨てる」と「棄てる」

 人間の視点を中心とするあり方を[すてる]と言われても、そうそう簡単に手を放すことは出来ません。
 親鸞聖人が「すてる」という文字を「捨」ではなく「棄」の文字を用いておられるには大きな意味がありました。
 自分にとって不用な物をすてるのは簡単ですが、この「棄」の一文字は、自分がいちばん大切とするものをすてるということです。
 自分がいちばん大切とするもの、それは私を中心とした価値観で得体の知れないもの。
 その得体の知れない価値観が、いかに当てにならないものであるかを思い知らせる本願。
 あらゆる迷いを断ち切ろうとされた親鸞聖人は、法然上人との出遇いによって、迷いを断ち切るのではなく、迷いは迷いのままで、安心して迷っていくことの出来る道をあきらかにされたのでした。
 この方の前では、自身へのごまかしは一切通用しない、師・法然上人をよき人と仰がれた親鸞聖人がそこにおられます。

 

 (機関紙「ともしび」平成23年12月号より)

 
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