2011年5月のともしび
大遠忌法要厳修についてー東北地方太平洋沖地震に遭うてー
宗務総長 大谷 義博
「南無阿弥陀仏は私のいのち」の基本理念のもと、十年前より門信徒一丸となって準備を進めて参りました宗祖親鸞人七五〇回大遠忌の勝縁が目前となりました。
時、ここに至って、予期もせぬ「東北地方太平洋沖地震」がおこりました。想像に絶するM9という地震の規模、大津波のすさまじい脅威に晒され自然の威力の前に人間のあまりの非力さをまざまざと思い知らされているところであります。
加えて、原発の放射能漏れ、人間が作り出した科学によって人間が被害者になってしまう恐怖の被爆が、世界中を震撼させるほどに重大な事態を招いております。
まずもって、おびただしい数のご逝去された方々に謹んでお悔やみを申し上げ、また、被災地で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
被災地をつぶさに放映している惨状をみるにつけ、誰しも自分に何か手助けが出来るものは無いか、居ても立ってもおれないジレンマにさいなまれます。
親鸞聖人ご在世の御世にも地震あり旱魃あり洪水、疫病、死人の続出を目の当たりにされて、世の為に何が出来るか苦悶されたのでしょう。世の中安穏なれと「三部経」読誦を発願されたと恵信尼様の「ご消息」に記されております。
この度の筆舌に尽くし難い悲惨な惨状を目前にして、急遽「東北地方太平洋沖地震対策会議」を開催しました。さまざまなご意見をいただく中で、予定通り大遠忌法要を厳修すること、各ご寺院様に救援金をお願いすること、また法要期間中毎日「大震災物故者追弔法要」を勤修することを確認いたしました。
宗派としましては、「絆」というテーマのもと、宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌法要ならびに佛光寺草創八〇〇年記念法要を予定通り厳修いたします。また連日のイベントの中でこの悲しみを共有すべく、有縁の方々にご支援を賜りますよう積極的に募金活動を開始いたす次第であります。
先般、阪神淡路大震災に遭遇され大変な被害を受けられ、そこから見事に復興を成し遂げられたご住職から「こういう時こそ元気の出る施策を強行に実施して欲しい、大遠忌を遠慮したり、一緒になって悲しまれたり暗くなられたり同情を頂くことだけが見舞いではありません」と力説されたことにパワーを頂いたことであります。
宗祖も、途中で「三部経」読誦をお止めになり、自力の末通らない限界を通して改めて大慈悲心のお心をいただかれ、お念仏のいわれを聞き開かれて行かれました。
大遠忌法要は、宗祖親鸞聖人から手渡された本願念仏のみ教えを、私たち一人ひとりが確認する場であり、具体的にはいのちの繋がりを確認する法要でもあります。
是非とも宗祖の御前に集うていただき、共にお念仏を申したく存じます。
東日本大震災に伴う宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要期間中の行事変更について
先般、三月二十二日開催の「地震対策会議」をうけ、宗派としましては、予定通り佛光寺八〇〇年記念法要ならびに大遠忌法要を厳修し、また法要期間中毎日「大震災物故者追弔法要」を勤修いたします。
なお、午後の各行事につきましては「東日本復興支援行事」として若干の変更がございます。以下をご参照ください。
大震災物故者追弔法要 |
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5月19日 |
10時(大師堂) |
勤行(仏説阿弥陀経) |
10時30分 |
宗務総長挨拶 法話 |
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5月20日から28日 |
11時50分(大師堂) |
勤行(讃仏偈) |
12時 |
宗務総長挨拶 法話 |
時間変更 |
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5月21日(土) |
17時~18時30分 |
村岸カンナ、ヒナ タカコ ライブコンサート |
5月22日(日) |
17時30分~19時 |
水木一郎ライブコンサート |
※両日とも開始時間を繰り上げます。 |
中止行事 |
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新開町周辺の模擬店 佛光寺夜間のライトアップ |
※午後の「東日本復興支援行事」では、救援金の募金を行いますのでご協力の程よろしくお願い申し上げます。 |
常照我
五月となり、宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌法要を迎えることとなりました。
大遠忌厳修という旗印のもと、何年にもわたって準備をしてきた法要がいよいよ勤まるのです。しかし考えようによっては、今年はその旗印が消える年でもあるのです。
大遠忌とは単に五十年に一度を記念した法要ではありません。今、この時代をともに生きる私たちが、親鸞聖人の教えに出遇えた慶びを、ともに頷いていく機縁となる法要なのです。
したがって大遠忌は大きな旗印ですが、決して目的ではありません。一人ひとりがその慶びを次の世代に伝えていく新たな出発点ともなるのです。
そういう意味では、これまで以上に、これからの生き方が問われてくるのでしょう。
(機関紙「ともしび」平成23年5月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「いいからいいから」の巻
その家には、次から次と変わった訪問者が現れます。まずはカミナリさま親子。孫のボクはびっくりしますが、おじいちゃんは「せっかく来てくださったんじゃ。ゆっくりしてくだされ」と受け入れます。いつものくせで、うっかりオヘソをとってしまったカミナリさま。後で返しにきますが、間違っておじいちゃんのおでこに、オヘソをつけてしまった。それでもおじいちゃんは「いいからいいから」。
これは、長谷川義史さんの「いいからいいから」という大人気の絵本のシリーズです。その後、ユウレイや忍者などがやって来ても、誰に対しても「いいからいいから」と、受け入れてしまうおじいちゃん。ボクはそのたびに、びっくりしながらも、いつしかおじいちゃんのペースに巻き込まれていきます。
ある小学校のクラスで、この絵本を読んだ後、給食の時間にある子がうっかりお盆をひっくり返しました。牛乳もおかずも周りに飛び散りましたが、クラスの子がかたずけを手伝いながら、その子に言ったそうです。
「いいからいいから」。
なかなか普段の生活の中では、何でもかでも「いいからいいから」とはいかない私たちですが、こんなおじいちゃんと孫の姿をみて何だかほっとするような気がします。心のどこかでそんな世界を求めているからでしょうか?
(機関紙「ともしび」平成23年5月号より)
聖典の言葉
歎異抄
わがはからはざるを
自然とまふすなり
これすなわち
他力にてまします
【意訳】
自分のはからいで信心を固めなり、そのことを、念仏の法では自然(じねん)というのです。信じられるのもすべては仏さまの力、すなわち他力です。
待つしかない
お寺に立ち寄られたご門徒のAさん、近況をお話されているそのAさんの横で、ついてきたお孫さんのS君が、触れると手の切れそうな新緑の葉っぱに近づいて、じっと見ています。
「どうしたの?何か虫でもいるの?」とたずねる私。
するとS君は答えて「あのねこういう葉っぱをさわるときは気をつけないといけないんだ。前にお姉ちゃんがさわって指を切って皮膚の一部が剥がれてとれちゃったの。すぐお医者さんに行って手当てをしてもらっていたらね。先生が皮膚を造る薬はないんだ。だから皮膚が造られてくるのを、辛抱してじっと待つんだよ、って言われたのを思い出したんだ」
私は、小さな子がそんな身体の摂理を記憶していることにびっくりし、「S君、凄い!科学者みたい」と、思わず可愛くなってS君の手を握っていました。
人はその通り、待つしかない時があります。じたばたしてもどうにもならない時、はからいをやめて耐えるしかない時が、肉体のみならず、心においてもより一層あるのでしょう。
あるがまま
S君は「待つんだよ」とお姉さんが言われた医師のことばを、その通り信じたのです。
当時、小さくない問題を自分の中で抱え悩んでいた私にとって、S君のことばは、大きな転換のヒントになりました。
現前の境遇から逃れようとするほど、それは押しつぶすように追いかけてきます。
S君が医師のことばを丸ごとうなずいたように、信じられる他力のはたらきにめぐり遇って人は、自然(じねん)のままに生きていくことができるのです。
(機関紙「ともしび」平成23年5月号より)