2011年3月のともしび
常照我
三月は別れの季節。幼稚園の卒園式で涙を流していた娘の姿が今でも忘れられません。
ひとりの涙が、波紋のように周りの人までをも巻き込んでいくのでしょう。
それは同じ時間を共有し、お互いの気持ちが響き合っていたからにほかなりません。
宗祖親鸞聖人七五〇回忌の年を迎え、同じ時代をともに生きる私たちにとって大切なのは、お念仏で響き合うことです。
それは南無阿弥陀仏の声だけではありません。教えとともに生きる人の姿に、この私が共鳴しているか、なのです。
この響きによって、お念仏は聖人亡き後も時代を超えて、つながってきました。
いうならば、七五〇年という時の流れは、人から人への共鳴の歴史でもあるのでしょう。
(機関紙「ともしび」平成23年3月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
有縁の巻
「縁がなければ、そもそも私たちは生まれてきていない。縁はあるんです。でもそれが今、機能していない。それが問題なんです。」これは「どうする・無縁社会」というNHK番組での一人の僧侶の言葉です。
地縁・血縁が綻び始め、確かに「無縁」としか言いようのない事件が報道され、社会の閉塞感と相俟って「無縁社会」という言葉は、昨年一気に定着しました。
でも、この「無縁社会」に何か違和感を感じた人は多いのではないでしょうか。冒頭の僧侶の言葉は、社会の「無縁」を嘆いている我々一人ひとりが、実は既に、量り知れない因縁をいただいて誕生していることを訴えたかったのだと思います。私が在って、その後に縁があるのではなく、「縁があって、私が在る」のです。考えてみると確かに不思議なことで、「私は在る」だけでも、大いなる因縁の賜なのです。
さて、親鸞聖人の配所、新潟県上越地方の赤倉に「有縁講」という仏法聴聞のお講があります。朝夕のお勤め、聞法を中心にした、一泊二日の日程。十一月のひと月だけのお講ですが、全国より数千人の聴聞の輪が広がります。お互いに血縁はないのですが、毎日百人を超える僧伽が生まれるのです。この「有縁講」に参加して、不思議な安堵感を感じました。親たちが喜んだ念仏の場に居る安心感のようなものです。親はいなくなっても、遙かな親たちの願いに遇える。念仏の縁のある皆様、「無縁社会なんてありえない」そう宣言しませんか。
(機関紙「ともしび」平成23年3月号より)
聖典の言葉
正像末和讃
小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずば
苦海をいかでかわたるべき
友の手紙
かつて、私のその旧友は、次のような文章を、くれた手紙の中に書いていました。
「ふと思うに、君がお坊さんであり、そういう友を持ったことが、どれだけ自分にとって、ことばにならない安らぎとなっているか、わからない」
一瞬、買いかぶらないでくれと思ったものですが、すぐに、自分の才覚や人格がではなくて僧侶という立場が、彼に安らぎを与えているにすぎないのだ、と思い直しました。
と同時に、そういう立場に見られている自分に、僅かに緊張感をも抱いたことです。
ところが数年後、ご家族から彼が、自宅で自死したと伝えられ、頭を殴られた思いでした。
大手出版社の管理職につき、一男一女も一流大学に進学して功成り名を遂げていたはずのその彼の私への遺書は、「○○君
とうとうこんなことになってしまって申し訳ない」でした。
けれど、申し訳ないは私の方で、中学以来付き合っていた数十年来の親友を、何の力にもなれずに一言の相談もされずに喪ってしまった無力感・・・。
しかも、前述の手紙にあるように、私が「お坊さん」であるにもかかわらず、です。
ご和讃の痛打
その時突如、浮かんだのが上のご和讃でした。本当に突然、
記憶の底から甦るように、胸中に響いたのでした。その響きはまるで「思い上がるな!」と叱られているようでした。
あれから十数年、時を経た現在は、彼の死を時折思い出しては、「ご苦労だったね 」と呼びかける老境の私がいます。
死を選ぶその一瞬より、生の方が遥かに長いと思うゆえに。
(機関紙「ともしび」平成23年3月号より)