2010年11月のともしび
常照我
「親鸞聖人ー関東にて」
親鸞聖人は、関東門徒の混乱の原因をつくった息子善鸞を義絶した。
「いまは、おやということあるべからず、ことおもうことおもいきりたり」
時に聖人八十四歳。しかしこの老いた身にわきおこる深い悲しみや傷みこそが、さらなる一歩を歩ませることとなった。
聖人は、先に完成していた『浄土和讃』や『高僧和讃』につづいて、『正像末和讃』の撰述に心血を注いだ。
わたしたちが最も大切にしている和讃「恩徳讃」は、その五十八首目に詠われている。
聖人は最晩年になってもなおただ念仏申しながら、自らの姿と向かい合った。
そして慚愧なき身を悲歎しつつも、仏恩報ずる身を生きられた。
(機関紙「ともしび」平成22年11月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
仏頂面の巻
皆さんのまわりに、いつも無愛想で不機嫌な顔つきの方はおられないでしょうか?
そういう人には近寄りがたく、時には話しかけるのもはばかられることがあります。
けれども、仏頂面の面を取り去り、敬意を表す「尊」という漢字に変えたとたん仏の頭頂に宿る広大無辺の功徳を表す「仏頂尊」になります。
人間は、相手の思いと自分の思いが通じ合えなくて理解しあえない時、人との距離を自分から作ってしまい、機嫌の悪い顔を自ら作り出してしまいます。
仏の功徳からは、程遠い姿がそこにはあります。
先日も娘から「何故そんな仏頂面をしているの?」と、尋ねられ、ハッと気づかされました。
その時は、特に機嫌が悪かったわけでもなく、怒っていたわけでもなかったのですが、鏡を見ると、確かに眉間にシワが寄っていました。そういえば、朝からスケジュールがつまっていて、頭の中で段取りを考え巡らして余裕がなくて、しかも自分一人でそれらをしなくてはならないと気負いこんでいたようでした。
娘から言われたその一言で我に返り、素直に「たくさんの用事を抱えているので手伝って」と頼むことができました。仏頂面から一転、笑顔になることができて、気持ちまで軽くなりました。
相手を思いやり、声をかけあうことで仏頂面は消え去り、気心が知れて相手との距離も近くなってくれました。
でも油断大敵。仏頂面はいつでも私のところに戻ってきます。その姿をうつし出してくださる教えこそ大切でありましょう。
(機関紙「ともしび」平成22年11月号より)
聖典の言葉
教行信証
前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。
【意訳】
先に生まれたものは後に生まれたものを導いて教えを伝え、また後に生まれたものは先に生まれたもののあとを訪ねて教えをいただいていく。そして教えを伝え続けて、途切れることのないようにしたいのです。
昨年のことでした。ある朝、元気に学校へ行った小学生の娘が、夕方にはつらそうな顔をして帰ってきました。病院に行き検査すると、当時流行していた新型インフルエンザとのこと。
学校の出席停止は八日間。その間安静にしていたこともあり、大事に至らず、また家族にも移らず、事なきをえました。
もし私だったら
この間、いろんなことが頭をよぎりました。
もし、娘の発症が一週間遅かったなら、自坊の報恩講と重なり、法要と看病で大変だっただろうと。
もし、妻(坊守)が発症していたなら、報恩講の準備そして当日と、混乱しただろうと。
もし私(住職)だったら・・・。報恩講の準備は家族のものが、当日のお勤めは近隣寺院の方々が、法話は布教使さんが・・・。となると住職がいなくても法要が勤まるのです。そう思うともの悲しい気もするのですが。
しかし思い起こせば九年前の報恩講は、当時住職の父が入院していましたが、それでも報恩講が勤まっていたのです。
途切れることのないよう
誰かがいるから勤められる、誰かがいないから勤められないのではありません。誰がいてもいなくても、勤められるべきなのが法要なのです。
先徳方が脈々と伝えてこられた教えを、今、ここにいるものがいただく。そして後の人々に教えを途切れることのないように伝えていくことが、私たちに課せられた役目なのです。
親鸞聖人は『安楽集』(道綽禅師)の上記一節を、『教行信証』の最後の部分に引用され、その大切さを私たちに伝えて下さっているのでした。
(平成22年11月「ともしび」より)