2010年9月のともしび
惠照様 第32代門主にご就任
住職相承委員会が開催される
9月1日午後2時より、住職相承委員会が開催されました。
一昨年五月に暁真前門主が退職され、委員会において、現在住職代務をされておられる笑子様へ住職ご就任の要望があがり、満場一致で笑子様を第32代佛光寺住職・真宗佛光寺派門主に推戴する事が決定いたしました。
惠照様門主就任お言葉
ただ今、相承委員会委員の皆様方の満場一致にて、この私を佛光寺第32代住職に推戴するとの決議をいただきました。
ここに、その決議を有り難くお受けさせていただきます。私も事ここに至っては、60年間お育てをいただきました御恩に報いるべく、心を決めさせていただきました。
想えば、佛光寺ご歴代には、お二方の女性ご門主がおいでになります。第9代ご門主の了明尼公様、第27代ご門主の真意尼公様でございます。お二方とも夫君のご門主様が先にご遷化され、またその跡も色々とご事情が生じて参り、その教団存続の危機に当り、佛光寺の法灯をあくまでも絶やさないという強いご決意のもと、ご門主職に就任されたと伺っています。
この上は、お二方をお手本としながら、門末のご理解とお支え、また家族の協力をも得まして歩んで参りたいと存じます。
宗務総長挨拶
本日、9月1日開催の住職相承委員会において、門主代務惠照様が、真宗佛光寺派第32代御門主にご就任いただいたことを、先ず宗門の皆様に御報告致します。
顧みますれば、佛光寺は中興了源上人御殉難の後、上人の室、了明尼公様が第九代となり教団の礎を作られ、第二十六代真達上人の室、真意尼公様は、夫君御遷化の後、第二十七代門主となり、元治の大火で焼失された両堂を再建されました。この度の惠照様の御就任は三人目の女性門主の誕生であります。
有為転変の世に在って、佛光寺教団の八百年を顧みる時、教団の存亡を脅かされる幾たびかの危機においてさえ、先人のお念仏をいのちとした精神は揺るぐことなく相続され、老若男女を問わず全門末の人々によって教団が支えられてきました。
この歴史を受け継ぐものとして、第三十二代御門主として惠照様が法灯を継承されたことを、万感の思いをもって御披露させていただきます。
思えば激動する時代にあって、常に無碍の一道を示されて下さる教法こそ佛光寺教団の源泉であります。法難こそ真実の歩みを証する御縁と受け止められた宗祖の姿勢に学び、明年の大遠忌に向かって「南無阿弥陀仏は私のいのち」を高く掲げ宗祖の仰せを聞信し、惠照様を中心に宗門一丸となって、大遠忌法要の円成を目指してまいります。
常照我
「親鸞聖人ー関東にて」
「ゆめゆめあるべからず」
「あさましきことにてそうろう」
親鸞聖人が京より関東の門弟たちに送った手紙の一節には、厳しい誡めの言葉があった。
聖人が去って後の関東では、専修念仏の教えを曲解し、悪は本願の救いの碍りにならないとむしろ悪を勧める異義などが起こり、混乱していた。
そこで聖人は教誡の手紙だけでなく、息子である善鸞を関東に遣わし、専修念仏の教えを改めて伝えんとした。
しかし善鸞は自分の存在を強調するあまり、父親鸞と自分しか知らない特別な教えがあるといい、本願をしぼめる花にたとえ、念仏を捨てよといった。
混乱は一層深まり、不安は高まった。が、その中にあって性信や真仏たちは「ただ念仏」の教えを必死に伝えていた。
(機関紙「ともしび」平成22年9月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
ニゴロブナの巻
琵琶湖には固有種とよばれる、琵琶湖にしか生息しない生き物がたくさんいます。近江特産の鮒ずしとなる「ニゴロブナ」など、昔から地元ではなくてはならないものになっています。
ところが、今、何者かが琵琶湖に放流した外来種が、本来そこで生息していた固有種を餌にして、どんどん増えていくという問題が生じています。外来種の生命力は猛烈に強く、固有種はみるみる減っていったのです。
そこで、ブラックバスやブルーギル料理を工夫して、外来種もいっぱい捕獲して食べましょうという呼びかけが盛んになりました。
また、キャッチアンドリリースを、外来種に限り禁止して、釣り上げたら専用の箱にいれて職員が処分するという方法が、採られるようになりました。
賛否両論もありましたが、その方法は着実に成果をあげ、外来種は、一時に比べてずいぶんと減り、ニゴロブナも、今年は昨年よりは少し豊漁だったそうです。
でも、考えてみれば、外来種に食べられるか、人間に食べられるか・・固有種にしてみれば、どちらもあまり変わらないような気がします。ニゴロブナは、別に人に食されるために泳いでいるわけではないのです。
私たち人間は、「いのち」をいただいてしか生きられない身の事実を自覚して、そこにいのちのいたみ、悲しみを感じる心をもちたいものです。
(機関紙「ともしび」平成22年9月号より)
聖典の言葉
末燈鈔
信心のさだまるとき
往生もまたさだまるなり
【意訳】
(生前であっても)信心が定まる時に、浄土への往生も定まるのです。
親鸞聖人の時代の仏教では、お浄土に生まれるためには、臨終にあたり、五色の紐で阿弥陀仏の像と死にゆく者の手を結び、それによってお浄土へ導いてもらおうという儀式が行われていました。ここには明らかに、浄土を死んで後にいく世界であるという発想があります。
しかし親鸞聖人は、生前においても信心が定まれば、それは浄土に往生するのと同じ意味を持ち、あえて、臨終の儀式や死にざまを問題にしないとおっしゃっていただいているのです。
こころは浄土に
現代においても、おそらく多くの方の理解は「死後」の「浄土往生」ではないかと思われます。確かに、今生きている人生の中で「浄土に往生する」と言われても実感が持ちにくいかもしれません。
しかし、「妙好人」として有名な浅原才一さんに、次のような詩があります。
才市は
臨終すんで
葬式すんで
みやこにこころすませて
もろて
なむあみだぶつと
うきよにおるよ
聞法を通じて、信心をいただいた人にとっては、身体はこの娑婆世界にあっても、すでにこころは浄土にあるのと同じなのです。だからといって、それで一切悩みがなくなるわけではなく、亡くなる瞬間まで煩悩は続きます。ただ、それが往生のさまたげになるのではなく、かえってそのような自分こそが、阿弥陀仏の目当てとして救われているという実感を味わわせていただけるのです。
信心をいただければ、今生きている人生を、よりいきいきと過ごすことができるのです。
(平成22年9月「ともしび」より)