2010年8月のともしび
常照我
「親鸞聖人ー関東にて」
親鸞聖人が関東に住してはや二十年が経とうとしていた。
真仏・性信などの門弟たちも成長し、高田・横曽根など各地に道場が建てられた。これらの道場が核となり、専修念仏の教えが、関東の人々にますます浸透していった。
そんな中、聖人は京都へと旅立った。なにゆえ住み慣れた関東を離れ、京都に帰るのだろう。
すでに草稿ができていた主著『顕浄土真実教行証文類』を完成させるためだったのか。或いは関東を離れることが、専修念仏に生きる人々や聖人自身にとって、プラスになると考えたのか。
いずれにしても聖人は京都で生きる道を選んだ。そして堰を切ったように多くの著作を生み出していった。それらは今も、私たちを導く真宗の教えの柱となっている。
(機関紙「ともしび」平成22年8月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
幽霊の巻
ヒュ~ドロドロドロドロ…。
真夏の夜の怪談話に付きものの幽霊。
幽霊といえば、江戸中期の画家・円山応挙の描いたものが有名で、髪を振り乱し、恨めしそうな目で手を前にだらりと垂らし、足がないその姿に思わず背筋がゾッとするものです。
さて、この「幽霊」、辞書で引くと「死者が成仏出来ずに、この世に現す姿。オバケ」とあります。
先日、歌手・都はるみさんに「ムカシ」という歌があることを知りました。
『こいつにうっかり住みつかれたら、きみも駄目になってしまうぞ。何故って、そいつはムカシ話で、いい気持ちにさせるオバケなんだ…』
「昔はよかった…」
「昔は、こんなことなかったんだけど…」
「今」と比較して「昔」を懐かしむだけでなく「昔」にしがみついて「今」を恨んだり…。
私たちの日常会話の中には、よく「昔」という言葉が顔を出します。
身は「今」にあるのに、思いは「昔」に住みついて、時として「未来」に浮遊する。
それは、決して死者が成仏できない姿ではなく、過ぎ去った過去や、知るよしもない未来にとらわれ、今、ここに依って立つところを失った、悲しい人間の姿そのものなのでしょう。
今が私の生きる時。
ここが、私の生きる場所。
「ムカシ」という「オバケ」から開放されるとき「幽霊」ではない、ほんとうの私をいただき生きる道が始まります。
(機関紙「ともしび」平成22年8月号より)
聖典の言葉
正信念仏偈
一切の群生、光照を蒙る
【意訳】
あらゆる生きとし生くるものは、人間の私たちから名も知らぬ草花にいたるまで、仏さまの、いのちを照らし出す光明のはたらきを、こうむらないものはありません。
いやいやはじめて
庭の草というものは、いつのまにか伸びてくるようです。
「また、はえてきたわ…」
と雨上がりの寺庭が気になって「これではあんまり恥ずかしいから」と、いやいやはじめた草引きでした。心も身体も重苦しいままに「しなきゃ世間体が悪い」でとりかかったため、「そもそも私には草引きなんか向いてない」など不服ばかりがこみ上げてきます。
けれどしゃがんで抜いていくに従い、雨上がりのしめった土の中から「ポン」という抜ける草の根の音が聞こえてきて、意外に作業は進んでいきました。
はじめてしまえばいいんだ、はじめる前の方が億劫なんだ、ということに気づきました。
「あらっ?私は草引きをいやがっていたはずなのに」
まずはこの一角をきれいにして、という思いになり、それが終わるとでは次も、とやる気が湧いてきたのです。
引かれる草の声
すると突然、どんよりとしていた空から一条の日光が、草引く私の手元に差し込んできました。雨にまだ濡れて光る草の、抜かれる根の音に、そのとき私は、寺に嫁いでから読み始めた「正信偈」の一句が浮かんできました。
一切群生蒙光照
「そうか、私は草引きがしんどい、いやだ、と自分の都合ばかりで作業を始めたけれど、引かれる草も引く私と平等の、おんなじいのちなんだ」。
経文は、そんなことを教えとしてくださったようでした。
それは引かれる草が、私の心に思い浮かばせてくれた、「いのちの声」の経文だったと、今は思えます。
(平成22年8月「ともしび」より)