2010年7月のともしび
常照我
「親鸞聖人ー関東にて」
寛喜三年(一二三一)、親鸞聖人は高熱の中『大経』を読み続けていた。目を閉じてさえ経文が一字残らず次々に浮かんだ。どういうことかと聖人は思った。
昔、上野国佐貫で飢饉の惨状を目の当たりにして三部経千部読誦を発願したことに思い当たり、我に返った。
「ただ念仏申すのみにもかかわらず自力の心が残っていて、それが今こうして現れたのだ、自力の心はよくよく思慮せねばならぬ」と思った後は読むことが止んだと聖人は恵信尼に語った。
私たちも困っている人を見たら力になりたいと思う。時には念仏までも救いの手立てとして利用しようとする。 しかしいくら力を尽くしても道理は曲がらない。曲がらぬ道理にこだわる私の姿を見せる用らきを他力という。
(機関紙「ともしび」平成22年7月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
ゲリラ豪雨の巻
突然、雲行きが怪しくなってきたある日の午後。雨具を持たずに出かけた娘に傘を届けるため、自転車で小学校へと向かったのでした。
学校に着いて娘に傘を渡すと、最初はうれしそうな顔をしていたのですが、喜びもつかの間、突如として襲いかかってきたゲリラ豪雨。
これ程まで降ってくると、私自身も帰るに帰れず、しばらく小学校で待つことに。しかし、雷は鳴るわ、稲妻は光るわ、警報は出るわで、いっこうに止む気配がありません。
結局、妻に連絡し、車で迎えに来てもらい、妻と娘は車に乗って帰ったのでした。
私はというと、乗ってきた自転車で家路に着くしかなかったのですが、この暴風雨では傘をさしてもほとんど無意味で、逆に傘のせいで突風に吹き飛ばされそうになる始末。ずぶぬれになって帰宅したのでした。
傘をもっていれば大丈夫という考えも、こんな豪雨では全く通用しません。
雨の日に傘があると、ありがたい。でも土砂降りになれば、全く役に立たない。さらに激しい風が吹いてくると、ない方がましだと。
同じ一本の傘であるにもかかわらず、使う側の都合によって、その傘が「ありがたい傘」であったり、「役に立たない傘」となったり、「ない方がましな傘」とまでなるのです。
こんなふうに傘、傘、傘と言いながらも、数日後の雨上がりには、ご門徒さん宅に「邪魔な傘」を置き忘れている私だったのでした。
(機関紙「ともしび」平成22年7月号より)
聖典の言葉
唯信鈔文意
摂取のひかりと
もうすは、
阿弥陀の御こころに
おさめとり
たまうゆえなり
「ちょっと、聞いておいてもらいたいことがある」。
親戚の叔父から、めずらしく電話がかかってきたのは、一月下旬のことでした。
しばらく顔を見ていなかったこともあり、久しぶりの再会を楽しみに、目にもあざやかな紅葉の山なみを車で飛ばし、叔父のもとに向かいました。
「よく、来てくれたな…」
居間に通され,ながらくの無沙汰を埋めるかのように、あれこれと話に花が咲き、ひときわ大きくため息をついた叔父は、こう切り出しました。
「実はな、私は白血病でな。今年の桜は、見れないかも知れないんだ」と。
景色が変わる
それから二週間後、お見舞いに訪れると、以前より元気な叔父の姿がありました。
ガーデニングを趣味とする叔父は、窓の外に広がる自慢の庭を眺めて、こう呟きました。
「白血病という現実を突き付けられ、何で俺が…と落ち込んだが、庭に咲く花々を見ていると、以前よりことさらきれいに見えてなあ。
でもな、足もとを見たら、先日きれいに手入れしたばかりなのに、あらたな雑草が生えている。いつもなら、何とも思わず引き抜いてやるところだけど、こいつらも、みんな尊い『いのち』を生きているんだなあと思うと、引き抜けなくてなあ…」。
桜の開花を待たずして、まもなく叔父は亡くなりました。
叔父が引き抜けなくてと言っていた雑草は、何もなかったかのように、自然のいとなみを繰り広げています。
変わらぬ景色の中に、変わる景色が見える。「気づく」ということは、そういうことだと教えてくれているようです。
(平成22年7月「ともしび」より)