2010年5月のともしび
常照我
「親鸞聖人ー関東にて」
●専修念仏の教えは関東に多くの念仏者を生みだした。しかしそれを快く思わぬものもいた。
山伏の弁円は、仏法を仇と思い、親鸞聖人を殺害しようと企んでいた。とうとう草庵にまで乗り込んで来た弁円であったが、聖人に出遇い、その荒々しくかたくなな心は翻され、ついには専修念仏の教えに帰依して、明法房と名を改めた。
明法房はかつての自分の姿をも頂きつつ、自身を回復した。
「山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる 我心かな」 明法房の詠んだ歌である。
のちに聖人は手紙の中で、明法房が往生の素懐を遂げられたことを「かえすがえすうれしくそうろう」と喜ばれている。
南無阿弥陀仏と出遇った明法房の姿は、まさしく本願成就の姿であった。
(機関紙「ともしび」平成22年5月号 「常照我」より)
仏教あれこれ
「○○第一」の巻
● 「安全第一」「健康第一」、みんなの願いです。その大事さ、かけがえの無さは、それを失った時初めて気づくことかもしれません。でも「第一」はそれだけでしょうか。
仏弟子伝を読んでいると、「多聞第一」とか「智慧第一」などの言葉と出会います。
例えば、いつもお釈迦様の身近にいて、多くの教えを聞いたアーナンダは「多聞第一」と、後に仏弟子の中で尊ばれました。またシャーリプトラは仏教教団を代表する智慧深さで、お釈迦様から説法を任されることさえあり、「智慧第一」と称讃されました。他にもお釈迦様の実子のラーフラは戒律を守り、人知れず努力したとして、「密行第一」と讃えられました。
注意してみると、お釈迦様の僧伽(初期教団)にはいろんな「○○第一」はおられるのですが、「○○第二」という人がいないのです。順位付けではないようです。その人の一番いいところを見いだし、褒め、「○○第一」と讃える。そんな懐の深い僧伽がお釈迦様の周りに実現されていたのです。一言で言えば、ナンバーワンではなく、オンリーワン。誰もがこの世に、ただ一人ゆえ尊い。絶対的な尊さが認められていたのです。その安心感は例えようのないことだったでしょう。
今から二千数百年も昔に、友を「○○第一」と呼び合う仲間たちがお釈迦様の僧伽だったのです。
小さい時から順位を付けられ、遅れまいと必死で走ってきた現代人。一呼吸おいて、仏弟子伝を読むなどいかがでしょうか。
(機関紙「ともしび」平成22年5月号より)
聖典の言葉
高僧和讃
「罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし」」
【意訳】 さとりの妨げとなる罪障も、その本体は仏の功徳と別物ではありません。真実の智慧によって罪障は功徳になります。氷が多いほど、融けた水も多くなるように、障りが多ければ、喜びも多いのです。
■初夏の美しい空に、元気よく鯉のぼりが泳いでいます。健やかにたくましく育ってほしいという親の願いがこめられた、微笑ましい情景です。
でも、両親や祖父母の愛情をたっぷりうけて、くったくなく笑っている子どもたちにも、実はこれからさまざまな障害や挫折が待ち受けています。
逆境こそが
この世に生まれてきた以上、老と病と死と、愛するものとの別れ、憎しみあうものとの出会いなど、避けることのできない苦悩はたくさんあります。
しかしそういう逆境こそが、心を転ずる機縁となります。順調な時には、生きていることの不思議も尊さも、特には感じません。むしろ逆境の時に初めて、それに気付くことができるのです。
善いときも、悪いときも、そのままの姿で救いの光に抱きとられているということに気付いた時、この最悪の状態も意味のある大切なことなのだと受け容れる心が開かれるからです。
障りを徳に
太陽の光によって氷が溶けて水になるように、如来の智慧によってあらゆる障りがその意味を変えていくのです。
お念仏の教えは、人生から障害や挫折をなくしていくように祈る宗教ではありません。どんなことがあっても、その障りを有意義な功徳に転換していく智慧を、阿弥陀仏は私たちに与えて下さいます。それが救いなのです。
子どもたちには「どんな出来事に遭ったとしても、それは無駄ではないんだよ。大切に生きようよ」と言いながら、育てていきたいものです。
(平成22年5月「ともしび」より)