真宗佛光寺派 本山佛光寺

時事法話

難度海

2023年7月

 本山において慶讃法会を第一期から第三期まで無事にお勤めすることができました。これはとりもなおさず仏祖の冥助と皆様のご協力の賜と御礼申しあげる次第であります。
 「慶讃」とは慶び讃える事。法要当日を迎えるまで、この言葉を課題として何度も向き合ってきました。寺離れ宗教離れが進む中、私たちは本当に慶び讃えて法要を迎えることができるのだろうかと。
 しかし法要を終えて実感したのは、一人の力では決して成し得ないことを、多くの方々のご協力により成し遂げることができたという事実でありました。
 「末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも ひとりも証をえじとこそ 教主世尊はときたまえ」というご和讃があります。
 末法五濁の世においては、聖道の修行で証を得ることができないばかりか、私たちは教えそのものを慶び讃えることもできません。
 しかし、皆が集いお念仏を称えるご縁をいただき、困難な状況の中、心と力が結集することで法要を無事お勤めすることができたのは、知らず知らずのうちに阿弥陀さまから私たちに回向された、よろずの衆生を仏に成さんと思う浄土の大菩提心のなせる業だったのではないでしょうか。ここに「慶讃」という言葉の意味があるように思います。
 基本理念「大悲に生きる人とあう 願いに生きる人となる」のとおり、慶讃法会とは、如来の願いを受け継ぎ、そして子々孫々へと伝える大切な法要でありました。

2023年3月

 四月二日の春法要において第二七代微妙定院真意尼公様の一〇〇回忌法要が勤められます。
 意尼公様は、第二五代真達上人の室として万延元年(一八六〇)播州明石城主松平家から御入輿され、お裏方として真達上人を支えられました。
 真達上人が御病気のため、慶応二年(一八六六)伏見宮家より六十宮(むそのみや)様(後の家教上人)を法嗣としてお迎えします。同年、真達上人が還帰され、六十宮様は跡を継がれました。ところが明治二一年、思召により伏見宮家へ復帰され、そのために真意尼公は、長子・隆教様(後の真空上人)を養育しながら、佛光寺第二七代の法灯を継がれました。女性としては二人目の御門主でした。
 元治元年(一八六四-一八六五)の兵火で両堂その他全てを焼失した中、家教上人の協力のもと、明治一七年大師堂再建、明治三七年本堂落成の他、各建物の再建を完成されます。そして山内坊守及び婦人を対象とした教化の場である婦人教会を設立し、後の佛光寺婦人会の発会になり、また勧学院校舎や教務局を設置し、布教・聞法活動の発展に志されました。
 真空上人に法灯を譲るまでの一八年間、真意尼公様は佛光寺教団再建と聞法活動の普及と発展にご尽力されました。多難で混乱の時代に、教団を背負ってこられたその御生涯と御功績に、今我々が何を成すべきか。その使命を、慶讃法会を前にあらためて問われています。

2023年1月

 今年も御正忌報恩講が無事勤まり、次のご和讃がふっと頭に浮かんだ
  七宝樹林くににみつ
   光耀たがいにかがやけり
   華菓枝葉またおなじ
   本願功徳聚を帰命せよ
 式務衆も三年ぶりの全国招集で、それぞれ不安と緊張の中で御正忌が始まった。御正忌前の式務衆講習会では皆、手探り状態で、調子や調和は正直とれていなかったように思える。
 しかし講習会後の個々の研鑽、御正忌に向けてのイメージ力が、反省会や習礼を重ねる度にまとまり、緊張しながらも声は調和し、七宝樹林、各人が互いに耀き出す。声はもちろん一挙手一投足がきれいに揃い、その場に居合わすことに喜びを感じ心地がよい。
 仏教は従果向因の教えである。今の結果から因に向かう。報恩講の因とは「仏恩報謝」である。それに対して我々の日々の生活は従因向果。今をどう生きるかより、結果が全て。結果が出なければ批判され、存在までもが否定される。
 浄土真宗の醍醐味は聞法見仏。色も形もない心(因)の発見。それがお荘厳としてあらわれ出る。本山御正忌報恩講は、まさに本願功徳聚があらわれ出た相である。

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