真宗佛光寺派 本山佛光寺

今月のともしび

御親教

門主 渋谷 惠照

 本日は、宗祖親鸞聖人のご恩に深く思いをいたす御正忌報恩講に、ようこそお参りくださいました。秋も深まり、境内のイチョウも見事に色づいておりますが、思えば私も、長い人生が静かに深まってまいりましたことを、実感しております。

   みほとけの 教え伝ふる 身となりて
   尊き衣 まとふ今日かな


 これは、私が門主就任の年に詠んだ歌です。あれから、早や十年の月日が流れました。皆さまにお支えいただき、今日までお役目をつとめさせていただきました。この間、長男である真承上人の御遷化という、大変悲しい出来事にあいました。私はそのご縁によって、かえってたくさんのことを教えられました。家族として同じ時を過ごせるのは決して当たり前ではなかったことなど、あらためて気づかされ涙を禁じ得ません。本当はとても貴重な一日一日を、当たり前のこととして過ごしていたのです。そして、その気づきと同時に、今までいただいていたご恩が、感謝してもしきれないほどであったことに目が開かれました。それは悲しみの中の温かな喜びです。
 宗祖親鸞聖人は、

   弥陀智願の広海に
   凡夫善悪の心水も
   帰入しぬればすなわちに
   大悲心とぞ転ずなる


とお示し下さいました。私たちは、ことの善し悪しに右往左往する、小さな心しか持ち合わせておりませんが、阿弥陀さまの智慧とご本願の大きな海にいだかれていると目覚める時、凡夫の心は大悲の心へと転ぜられるのです。
 たったひと声のお念仏も、阿弥陀さまの智慧とご本願のおはたらきによるものでございます。私も、先立たれた真承上人を通して、阿弥陀さまの大悲に出遇い、悲しみに右往左往する心が転ぜられ、温かな感謝の心をいただくご縁を賜りました。まちがいなく、生死を超えた不思議なおはたらきがあることを確信し、ご本願のお力によって、安らかにお念仏を申すばかりでございます。
 ご参詣の皆さまにおかれましても、いよいよ聞法の座に歩みを運ばれ、お念仏のみ教えに出遇われますことを念じております。
 本日は、ようこそお参り下さいました。

 (平成二十九年 御正忌報恩講 大逮夜法要 御親教より)

 

年頭のご挨拶

宗務総長 佐々木 亮一

   初春や 黄金の福寿 花開き
   ともに歩まん 浄国の旅


 明けましておめでとうございます。新年にあたり謹んで年頭のご挨拶を申しあげます。
 宗務総長を拝命し五回目の正月を迎えました。その間、私達を取り巻く環境が急速に変化する中、聞法のあり方、寺院のあり方、本山のあり方等の課題に取り組んでまいりました。また、検討を行うあたり、宗勢調査並びに門信徒調査を行い、実態の把握に努めました。その結果、聞法活動を定期的に実施されている寺院は、念仏相続も淀みなく進められていることや、門信徒の皆様の厳しいご意見も、新しい時代に向けて、変わらねばならない意志の現れといただきました。私達は現状を真摯に受け止め、宗門の皆様と一丸となって、改革を進めてまいりたいと存じます。
 さて、一昨年は、ご周知のとおり、宗門が長きにわたり待ち望んでおりました真覚様が、新門になられました。そして、今年3月には、惠照御門主様が退任され、4月から真覚様が御門主に就任されることが、「住職相承委員会」で承認されました。
 私たちはこの勝縁のもと、初春の光を浴びて、黄金色に輝く福寿草の如く、新しい時代を皆様とともに歩んでまいりたいと存じます。
 さて、私たちを取り巻く環境は、科学技術の飛躍的な進歩によって、経済・社会・文化・医療等々あらゆる分野において、複雑化・多様化が急速に進んでいます。あらゆる枠組みが変化する中で、従来の常識や価値観は通用しなくなっており、その進歩に私達の意識や社会制度が伴わず、不安と混迷を一層深めています。
 このような時代社会に流されることなく心豊に輝く人生をおくることは私達の願いであります。弥陀の本願を聞信し、自信教人信によるお念仏のみ教えをいただくことが、混迷の時代を生き抜く唯一の道であります。
 昨年の御正忌報恩講において惠照御門主は

   弥陀智願の広海に
   凡夫善悪の心水も
   帰入しぬればすなわちに
   大悲心とぞ転ずなる


と、ご和讃をお示しになり、「私たちは、ことの善し悪しに右往左往する、小さな心しか持ち合わせておりませんが、阿弥陀さまの智慧とご本願の大きな海にいだかれていると目覚める時、凡夫の心は大悲の心へと転ぜられ、温かな感謝の心をいただくご縁を賜りました。」と、お説きくださいました。

 私たちは、親鸞聖人がお示しいただいたお念仏のみ教えを聴聞し、光輝く人生をともに歩んでまいりましょう。

 

常照我

「南天の実」 撮影 藤宮 賢樹氏「南天の実」 撮影 藤宮 賢樹氏

 一月を睦月と呼ぶのは、新年の挨拶を交わす姿が、仲睦まじい光景だからだという。
 元旦、境内のトイレにお守りと破魔矢が置かれていた。年明け早々に、神社へ初詣に行き、その後お寺にお参りされた方が忘れていかれたのだろうか。
 鑑みるに、聖徳太子の十七条憲法、第一条には「和らかなるを以て貴し」と掲げ「国民は仲睦まじく」を、宗としている。
 和と睦には、やわらぐという意味がある。心身が柔軟であれば、あらゆる方向を見ることができ、さらには過去にも心を向けられる。そのことにより、支えられて生きていることに気づく。また嫌味や攻撃的な言動も、まともに受け止めずやわらかくかわすことも可能だ。
 私の思いを超えた願いを、先人は月の名に託していた。

 (機関紙「ともしび」平成30年1月号 「常照我」より)

 

仏教あれこれ

「血液型」の巻

 衝撃的な事実が判明しました。小学生の息子の血液型がO型だったのです。
 妻がO型で、私はB型。なのでO型の子どもが誕生しても何の問題もないはずなのですが……。
 現在高校生の娘が生まれたときは、誕生時に血液型を調べました。それから5年後には「新生児の血液型は正確に判定できない」との理由で検査をしませんでした。
 以来10年間、血液型を調べることなく過ごしてきたのですが、先日、別の血液検査の際に「ついでに」調べてもらうと、実はO型であることが分かったのでした。それで、なぜ衝撃的であったかというと……。
 雑誌やテレビで、よく血液型性格診断なるものを目にします。また「B型だから……」「AB型だから……」と人の性格を判断することもあるでしょう。
 息子の場合も、「性格的に私と似ている」「こんな行動をするのはB型に違いない」と幼児の頃から決めつけていたのでした。
 なのでO型と聞いたときは耳を疑うばかり。
 4種類しかない血液型で人間の性格を分類することはできないと百も承知です。しかし、星座や干支と違い、身体の中を流れている血液となると何か信ぴょう性があると感じてしまいますが、これもまったくの迷信です。
 分かってはいるのですが、ここには、まさに迷信に惑わされている私が存在し、そのことが今回の「衝撃的な事実」で知らされたのでした。

 (機関紙「ともしび」平成30年1月号より)

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