常照我
昨今、地震、豪雨と自然災害が各地を襲う。わたしも自宅が地震で大きな被害を受けた。
その時、思わず口にした言葉は「これまで頑張ってきたのに」だった。「これまで」の積み重ねは、わたしにとってよい結果を生むと思い込んでいたのだ。
仏教にたずねると、わたしとは過去に執着し、積み重ねた努力が良い結果をもたらすという思いによって苦悩を生み続けている存在だと教えられる。
親鸞聖人は、そんな自身の姿に気づきながら生きて欲しいという仏の願いを伝えられている。
報恩講をお迎えする時が来た。それは、親鸞聖人のご法要であるが、仏前でいまのわたしの生き方を問われる場でもある。
先人の言葉に「これからがこれまでを決める」とある。ようやく、わたしの課題として考えられるようになった。

写真 佛光寺インスタグラムより
親鸞聖人のことば
聞は、きくという、信心をあらわすみのりなり。名は、如来のちかいの名号なり。
『唯信鈔文意』より
(『佛光寺聖典』 五五八頁 )
【意訳】
「聞」は 「きく」 ということであり、信心を表す言葉です。「名」 はお名前ということであり、如来が本願に誓われた名号、南無阿弥陀仏を示しています。
年忌法要に伺ったとき、施設に入居されているおばあさんが帰って来ておられました。
久しぶりの再会
車椅子に乗られ、白髪のままのショートカットでしたので、迎えてくださったときはどなただろうかと、一瞬思いました。でも、なじみのあるその声で、すぐに思い出せました。
コロナ禍もあって本当に久し振りの再会でした。元気なご様子に、親戚の方々も一様に安心し喜んでおられました。
ご家族は、「当初、環境が変わるのを心配した。でも、話し相手も多く、持ち前の積極性を発揮して、かえって元気になったぐらいで」と、うれしそうに話しておられました。
お念仏を聞く
法要始めのお内仏への合掌礼拝のときです。「ナマンダブ、ナマンダブ・・」とひときわ大きな声が背後から聞こえてきました。それはおばあさんでした。そして勤行の合間にも、はっきりとしたお念仏の声が、私の耳に届いて来ました。
その声を聞くうちに、私はうれしくなってきました。
それは、六年振りでしょうか、お世話になったおばあさんの変わりのない元気な声を聞けたということだけではなくて、ありがたいなという思いが湧いてきたからです。最近、ご法事でお念仏があまり聞こえてこないと感じていたときでした。それゆえ、この懐かしい声、おばあさんのお念仏が、私の身に深く染みてきたのだと思います。
お念仏を申すとき、阿弥陀さまは、いつでもどこでも、いらっしゃる。そのことを思い出させていただきました。称名念仏という意味をあらためて教えられた思いがいたしました。
仏教あれこれ
「時代は変わる」の巻
久しぶりに公園でウォーキング。暑い時期は熱中症をおそれて運動をしていなかったので、二周四キロで汗びっしょりです。急いでまた水分補給。
家に帰って「疲れたー」とソファーでぐったりしていると、小さな孫がくっついてきます。
「おじいちゃん、どうして疲れるのに歩きに行くの?」
「歩くとからだのためにいいからだよ」と、取り合えず返事。
「楽しいの?」
……答えにつまりました。
楽しくはないよなあ、と考えていると、不意に中学校の頃のことが思い出されました。
放課後になると、丘の上のグラウンドへ向かいます。部活の前に坂道ですっかり汗だくです。先輩から「バテるから部活中は水を飲むな」と言われるので、つらい時間です。
その頃、テレビだったでしょうか。アメリカの人たちは健康のために公園を走っている、というニュースが流れて、びっくりしたことを覚えています。当時は、健康のためとはいえ、わざわざ走ったりすることが信じられなかったのです。
田舎道ではバスの時刻が合わなくて、しょうがなく歩いている人がいるだけ。農作業もほとんど人力でやっていた時代ですから、夕方には大人は疲れ切っていました。
子どもたちの夢は、いつかおいしいものを腹いっぱい食べられる日が来ることでした。
時代は変わり、今では健康のために栄養の取りすぎに気をつけて、運動をして、ダイエットもして、健康食品も。—-いい時代になったのでしょうか。
でも「楽しいの?」という孫のことばに、うまく答えられないのはなぜでしょう。
おときレシピ Vol.108「ブロッコリーの白味噌白和え」

今日のお料理は「ブロッコリーの白味噌白和え」です。
「合わせる」や「混ぜる」ではなく、「和える」と表現するのは、なんとも趣があるように感じられます。
そんなことを考えながら白和えを頂けば、豆腐、ごま、ブロッコリーが、それぞれの味や食感を残したまま「白和え」というひとつの料理として、舌を楽しませてくれます。
豆腐は豆腐のままでも美味しいですし、ただ茹でて塩を振っただけのブロッコリーも、それはそれでやはり美味しい。けれど白和えには、それだけで食べるのとはまた違った良さ、味わいの奥深さがあります。
私たちも人間も、こうでありたいものです。
人は誰でも、ただその人であるというだけで尊いものです。
けれど、人と人が出会い、交わり、多くの価値観や文化が交錯して生まれる場、時間。そのとき、誰もが無視されたり否定されたりすることなく、その人そのままで持ち味を生かすことができれば、それこそが「和」であるのだと言えましょう。
(ワンポイント)
塩昆布を加えることで味がはっきりしてきます。
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit. Ut elit tellus, luctus nec ullamcorper mattis, pulvinar dapibus leo.
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit. Ut elit tellus, luctus nec ullamcorper mattis, pulvinar dapibus leo.

【監修】青江覚峰
一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。
