常照我
八月、お盆休み。実家にて、亡き祖父母を偲び手を合わせ、私の中の思い出を辿る。そしてふと気づく。あれ、今の私、記憶の中の祖母と同じ年齢?
柔和な空気をまといながらも、度が過ぎた悪戯には「コラ!」としっかり一喝。子どもの目には老熟した人格に見えていました。うーん今の自分、とてもあの境地には達していないぞ。
昔は、初老ともなればもっと心穏やかな日々を過ごせると期待していました。実際は、今日も職場の人間関係に右往左往、心乱されてばかりの毎日です。
そう、いくつになっても悩み、迷う、それが私たちです。今思えば祖母だって当然苦悩を抱えていたでしょう。外には見せない苦を受け止め、しなやかに生きた祖母という先達の姿を胸に、また今日も一歩を踏み出そう。
(機関紙「ともしび」令和5年8月号 「常照我」より)

明治初期、1200年近く開けられたことのない法隆寺夢(ゆめ)殿(どの)の中から1巻の織物を発見。それは、聖徳太子が物部守屋(もののべのもりや)を征伐した時の「錦(にしき)の御旗(みはた)」であると伝わる。
この織物は、昭和期に法隆寺より依頼を受けた初代龍村平蔵が復元を試みたものの1つである。
親鸞聖人のことば
凡聖、逆謗、斉しく回入すれば、
衆水、海に入りて一味なるが如し。
『正信偈』より(「佛光寺聖典」二二七頁)
【意訳】
違う川の水であっても、海に流れ込めば同じ味になるように、どんな生き方をしている者であっても、阿弥陀さまの願いに出遇うと、おのずと、お念仏をよりどころとする人となっていくのです。
五月、本山佛光寺では慶讃法会が勤まりました。
慶讃法会とは、親鸞聖人御誕生からの五十年に一度厳修される法要です。
九日間十八座にわたっての法要。ご参詣くださったご門徒の皆さん、ご出勤された僧侶の方々、ボランティアとして汗を流してくださった皆さんのお顔がイキイキと輝いておられたのが印象的でした。
私自身も、全十八座にかかわらせていただき、尊いご縁となりました。
慶讃法会の目的
ところで、この慶讃法会の目的は何だったのでしょうか? 法要を勤めること? もしそれが目的であるのであれば、達成され、すでに終わってしまったことになります。
慶讃法会の目的は「念仏相続」です。
私の課題
上記は正信偈の一節で、慶讃法会の際に、ご門主さまがおことばで引用されました。
違う川の水であっても、海に流れ込めば同じ味になります。同様に、さまざまな生き方をしている者であっても、阿弥陀さまの願いに出遇うと、おのずと、お念仏をよりどころとする人となっていくということを教えてくださっています。
親鸞聖人にはじまる八〇〇年の時の流れは、念仏相続の歴史でもあります。
そして今年、慶讃法会に遇うことができた私。法要をご縁としてお念仏に生きた方々の思いと向き合っていくのか、それとも念仏相続と言いながらもすべての法要にかかわったことだけで満足してしまっているのか。
私自身のあり方が問われる法要でもあったのです。
(機関紙「ともしび」令和5年8月号より)
仏教あれこれ
「銀杏を踏むと」の巻
夏の終わり、いつも出かける公園の遊歩道を歩き始めると、風がさわやかです。今日も打倒内臓脂肪で、腕を大きく振って歩き始めました。
芝生から木立に入るところで、今までなかった新しい看板が見えて思わず立ち止まりました。
「足もと注意 銀杏を踏むと匂いがします ご注意下さい」
注意書きのことばに、あーあと白けた気分になりました。「銀杏を踏むと匂いがします」これ常識。踏んづけたら「おっと失敗!」ですむはずなのに、もう……美しい公園にこの無粋な看板は何だ。きっと去年の秋に誰かが銀杏を踏んづけて、市の窓口にクレームをつけたに違いない。「わたしの新しいシューズが臭くなったのは誰のせいだ。管理者が悪い。公園にイチョウはいらない。伐ってしまいなさい」そんな声が聞こえてくるようです。管理者は無難に、注意書きの看板で対応したのでしょうか。
最近は様々な「クレーマー」の話を多く耳にするようになりました。時代の中で煩悩がどんどん深くなっているような気がします。
ああ、常識知らずはこの公園に来るな。樹のない道を歩け。何十年もこの地に生えているイチョウに失礼だ。イライラする気持ちのまま、あっという間に公園一周です。
ベンチに座ると、青々と繁るイチョウ並木に見下ろされているようです。夕風にゆっくりと体が冷やされてくると「ああ、自分の煩悩に振り回されたままの二キロのウォーキングだったなあ」と、わたし自身の姿にようやく気づかされたのです。
(機関紙「ともしび」令和5年8月号より)
おときレシピ Vol.75「桃の白和え」

寺で生活をしているとよく頂きものがありますが、特に多く頂くのがフルーツです。
法事の後には季節のフルーツが文字通り山盛りになっています。もちろんこれはお供えしてから頂きますが、場合によっては食べ切れない量を頂くことも。そんなときには、少し目先を変えておかずとして使ってみることがあります。
さて、中でも桃はとりわけ使い勝手のよいフルーツだと言えます。洋食でもチーズなどと合わせて供されることが多い食材ですので、それならばと今回は和風に白和えにしてみました。
フルーツの甘味と酸味に胡麻や豆腐のコクと香りが絶妙に混ざり合い、あっさりとした味わいながらも程よい主張のある一品です。
ぜひご家庭でも作ってみてください。
(ワンポイント)
桃は未成熟の硬いもののほうが美味しく作れます。
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【監修】青江覚峰
一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。