2022年4月のともしび

常照我

 二年前の四月、満開の桜を見て不安を感じた。
 第一波による初めての緊急事態宣言。静かな街は緊張感に包まれていた。日中の公園にはうららかな日差しがふりそそぎ、桜は満開に咲き誇る。しかし、樹下に集う人の姿が見えない。その異様さに不安が増していく。
 誰もが不安を募らせ、疑心暗鬼になっているようだった。
 早朝、犬の散歩中に桜を見上げると、澄んだ空の青と花弁のピンクが目に沁みた。「あぁ」と声が漏れる。桜は今までと何ら変わることなく、そのいのちを輝かせている。変わったのはそれを見る私の眼だった。
 今年も各地より開花の便りが届く。幾多の波にも決して動じることなく、いのちをつなぎ続けるその姿に、少しずつ歩みを進めるための勇気をもらう。
(機関紙「ともしび」令和4年4月号 「常照我」より)

「水鏡」 撮影 西表島ウォーターマン 徳岡大之さん

親鸞聖人のことば

かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす

『正像末和讃』より(「佛光寺聖典」六四四頁)

【意訳】
 悲しくも人々は、日時の良し悪しにこだわり、神頼みに余念がなく、また、占いやお祓いにいとまがない。

 たまに、お祓いや祈祷の読経を頼まれることがあります。丁寧に向き合うなかで、お断りをしていますが、かつての教え子からも依頼がありました。
 私は中学校の教員でした。

お祓いをしてほしい
「悪霊に取り憑かれていると言われた。お祓いをしてほしい」
 彼から、まさかこんな言葉が出るなんて、本当に驚きました。
 当時の彼はいわゆる“問題生徒”で、私の助言など素直に聞く耳は持たず、誰にも弱みを見せずに突っ張っていました。けんかっ早い生徒で、それで拳を骨折したこともあるほどです。
「結婚し子どももできた。手に職を持って、将来は独立する」と、それも笑顔で順調な近況や夢を話すなかでの発言でしたので、彼の心の意外な一面を、初めて知った思いがしました。
 このときも、彼の気持ちを聞きつつ、「お祓いは必要ない」ことを丁寧に伝えはしました。
お念仏は
 でも、あの時の私の話だけで、彼が「お祓いは必要ない」事実に納得できたとは思えません。
 中学時代、おのれの腕力を誇示していた彼は、周りの不都合さから必死に自分を守っていました。まして、守る家族ができた今は、彼の不安は余計に増しているようにも思えました。
 私たちが何かにすがりたいのは、自分に都合の悪いことを自分のことと受け取れないことから来ているのかもしれません。
 でもお念仏は、自分の思い通りに生きられないという限界を知る勇気を与えてくれるだけでなく、その限界を嘆くことすら超えて、その身の事実を引き受けて生きる覚悟をも与えてくださるものです。ともに歩むことができればなと願っています。
  (機関紙「ともしび」令和4年4月号より)

仏教あれこれ

「一般常識」の巻
 ともしび編集委員、現在のメンバーは、北は新潟から南は熊本までの八名の僧侶。同じ佛光寺派といっても地域により、またお寺の規模により様々な違いがあって、お話をしていると驚くことがあります。
 例えばお寺でお勤めをする、ご法事の集合時間です。都市部にある大きなお寺さんでは三十分刻みで予約を受け付けていて、ご門徒さんがお寺にお参りされるのは、予約時間の五分前とか。びっくりしました。
 同じ都市部でも、ご門徒さんが少ない私の寺では、一時間前集合が当たり前。そもそも一日にお受けするご法事は最大で二件。と、ちょっと見栄を張りましたが、一日に二件あったことは過去に数回だけ。ご門徒さんが十分前になってもお参りされていなかったら、「忘れておられるのか?」と不安になります。よそのお寺の常識は、お寺の非常識。またその逆も、しかなり、です。
 そういえば日本では当たり前の「五分前行動」。アメリカに旅行した時に、現地に住む友人に連れて行ってもらったホームパーティー。会場のお宅に伺ったのは、聞いていた開始時間の二時間後!早く行かないと終わるのでは?と焦る私に、主催者の用意ができておらず迷惑になるので、ゆっくり行くのが親切だし当たり前、とは友人の弁。
 十八世紀のフランスの哲学者ヴォルテールは、「一般常識は決してそれほど一般的ではない」と言ったとか。ほんと、おっしゃる通りでございます。
  (機関紙「ともしび」令和4年4月号より)

おときレシピ Vol.62「えのきのホタテもどき」

 「地獄の箸、極楽の箸」というお話をご存知でしょうか。
 ある行者が神通力で地獄を覗いてみたら……というお話。地獄の亡者の手には一メートル超の箸がくっついていて、目の前のご馳走を箸で掴んでも口に入れられず苦しんでいる。そこで今度は極楽を見てみると、極楽の人々は同じように長い箸を使いながら、掴んだご馳走を周りの人とお互いに食べさせ合っているのを見た、という内容です。
 さて、先日お会いしたキリスト教の牧師さんから「実はよく似た話があるんですよ」と、キリスト教では天国と地獄、箸の代わりにスプーンというかたちで伝わっているとお聞きしました。
 今回の一品は、そんな「よく似ている」を楽しめるお料理です。
 えのき茸の下の方を焼いたものですが、縦に通った筋、しっかりと噛みごたえのある食感……目をつぶって食べると、まるで帆立の貝柱のような食感なんです。
 里のものと海のもの、種類はまったく違いますが、さて皆さまはどんなふうに感じられるでしょうか。

えのき茸の根本…1パック分
醤油…大さじ1/2
みりん…大さじ1/2
サラダ油…大さじ1
塩…少々
えのきの根本を1.5センチ幅で切る
フライパンに油を引き、中火にかける
1をフライパンに入れ、塩を振り、両面こんがりと焦げ目がつくまで焼く
火を止め、醤油とみりんを合わせたタレを全体に回しかける

(ワンポイント)
 火を止めてから醤油とみりんを入れることで、焦げ付きを回避します。

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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。