常照我
 一昨年の本山御正忌報恩講に出勤した折りのことです。
 夕方、渡り廊下から公孫樹を眺めていたとき、おばあさんとその娘さんらしき二人連れから「お堂の中へ入ってもいいですか」と声をかけられました。
 大師堂から出てこられたときに、また声をかけられました。
「あの、お堂の正面に掲げられた『見真』の額は何ですか。私ら、ほんとになんも知らなくて」
「親鸞聖人におくられた大師号です。知らなくて、普通ですよ」
 そこから会話が始まり、今日、父のお骨を本廟に納められたこと、その足で今、本山にお参りに来られたことを伺いました。
 帰り際に、お堂に振り向き合掌される母と娘のご様子は、公孫樹のように夕日に輝き幸せそうでした。報恩のかたちを見せていただいた思いがしました。
(機関紙「ともしび」令和3年11月号 「常照我」より)

親鸞聖人のことば
煩は、身をわずらわす。
悩は、こころをなやますという。
『唯信鈔文意』より(「佛光寺聖典」五六〇頁)
【意訳】
 私の感じることが原因となって、自身の心や身を苦しめています。それは煩悩にしばられているからです。
 お盆参りを終えた次の日の朝、同じお寺に勤めるT君から発熱したとの連絡がありました。コロナ感染も疑われるため、私と3人の僧侶が検査を受けに行きました。
身勝手な不安
 検査結果は、心配していた通り私を含め3人が陽性。私は皆の体調を心配するよりも、明日からのお参り、週末の法事、さらにお寺の評判を考え不安になりました。そしてあの時か、あの場所かと特定できるはずのない感染の経路を勝手に想像しては怒りを抱きました。
 ところが残る一人の陰性が判明し、明日からお参りできることになりました。安心した私は、いままで気にもかけなかった皆の体調を心配し、感染した原因を勝手に想像しては怒りを抱いていた自分を恥じました。
 二日後、症状が悪化した私は入院をすることになりました。隔離され不自由になると、こともあろうか、また感染した経路を勝手に想像しては怒りを抱いているのです。誰かの責任にしないと気が済まないという最低の姿でした。
煩とは、悩とは
 上記のお言葉は、そんな私の姿を言い当てています。私の感じたことが原因で周りが見えなくなり、身勝手な判断をしては怒りやひがみを生み、深い不安に陥っていました。それはその時々、置かれた状況によって自らの都合がつくりだしているのです。
 親鸞聖人は、人とはこのような姿であると教えてくださっていたのです。そこに気づけないからこそ、阿弥陀仏の教えを聞いていくという親鸞聖人の生き方を感じたお言葉でもありました。
  (機関紙「ともしび」令和3年11月号より)
仏教あれこれ
「スケートボード」の巻
 今夏の東京オリンピック。特に印象に残ったのが新競技の「スケートボード」。ルールや採点基準などまったく知りませんでしたが、見ているうちに引き込まれていきました。特に感じたのは、その独特の世界観です。
 ある選手が大技を決めて演技を終えたあと、喜びのあまり誰かとハグをしていました。その相手は自国のコーチではなく、他国の選手、つまりライバルだったのです。
 また、逆に失敗すると、それが誰であっても自分のことのように悔しがっていました。
 すり鉢状のコースを滑りながら回転などの技を競う「パーク女子」では、日本人が金・銀両メダルを獲得しましたが、四位となった岡本選手が世界ランク一位で優勝候補でした。決勝では、他の選手の演技がすべて終了し、残すは彼女のみ。この時点で四位だったので、それなりの演技で表彰台を狙うことは可能でしたが、果敢に大技に挑戦しました。しかし最後の最後で転倒しメダルを逃したのでした。
 演技を終え、泣きながら歩いている岡本選手のもとに、他国の選手が数人集まり、彼女をたたえ担ぎ上げたのでした。本人いわく「思っていた演技ができず悔しかったが、担がれて気持ちが落ち着き自然と笑顔が出た」とのこと。
 うれしいときはともに喜び、悲しいときはともに悲しんでくれる国を超えた仲間がいるからこそ、楽しみながら自分の演技をつくすことができる。そんな世界観があることを、新競技「スケートボード」が教えてくれました。
  (機関紙「ともしび」令和3年11月号より)
おときレシピ Vol.58「蕪蒸し」

 「蕪のフルコースだ!」と、言われたこともあるこの料理。蕪をまるごと、上から下まで全部使っています。
 実の部分を皮ごとすりおろし、それを絞って出た汁をあんかけの餡に、残った繊維の部分は蕪のまんじゅう部分に。そして葉っぱはお浸し、さらに茎の付け根の部分は蒸して、お浸しとともに蕪蒸しの上にあしらいます。
 使い切る。これがこの料理のテーマです。
 フードロスやSDGsという言葉が言われるようになった昨今。メディアでは、無駄をなくすことがまるで流行りのように扱われていますが、こういった古来より伝わる料理に目を向けると、食材をまるごと使い切るものがたくさんあります。
 日本の風土に適って作られた、昔から伝わるフードロスゼロの料理。ぜひご家庭でもお試しください。
(ワンポイント)
 蒸す際、時間が短すぎると中まで火が通らず、長すぎるとベチャベチャの食感になります。金串で中の温度を確認し、ちょうどいい塩梅を見極めましょう。
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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。

