2020年09月のともしび

常照我

 羊飼いの少年が「狼が来た!」という嘘を何度もついたため、本当のときには誰も助けに来てくれなかった『羊飼いと狼』。ここから、繰り返して嘘をつく人物を「オオカミ少年」と。
 また、たび重なる誤報によって信頼されなくなることを「オオカミ少年効果」と呼ぶそうです。警報が発令されても、実際に災害が起こらないことが続くと警戒しなくなってしまうのがその一例です。
 そこにあるのは「自分は大丈夫、ここは大丈夫」という思い込み。危険がせまっていても、日常の延長線だと考え、非常事態だということが分からなくなってしまうのだそうです。
 どこまでも他人ごととしてとらえてしまう私。明日をも知れぬ命をいただいて生きているにもかかわらず。
  (機関紙「ともしび」令和2年9月号 「常照我」より)

「岡山県倉敷美観地区」 撮影 藤末 光紹氏

親鸞聖人のことば

他力と言うは、如来の本願力也

『教行信証』「行巻」より(「佛光寺聖典」二一七頁)

【意訳】
 他力とは、阿弥陀如来の本願のはたらきのことです。

 7月に九州地方を襲った豪雨災害。人吉に住む友人にすぐさま連絡を取り、必要な物資を送りました。けれども他には何もできません。心配するだけで、自分の頼りのなさが悲しくなります。

「頼む」私
 「たのんだよ!」。日常生活でよく耳にする言葉です。たのまれると、頼りにされているようで、嬉しい気持ちになります。私自身「たのみます」とお願いすることも、自分に「たのむよ!」と、発破をかけることもあります。この場合は「頼む」と書いて「あてにする」という意味があります。要は、他人をアテにし、自分自身の能力や健康などをアテにするのです。当然、アテは外れることがあります。
「憑む」親鸞聖人
 親鸞聖人も「他力をたのむ」と仰いますが、「よりどころとする」という意味がある「憑む」と書かれます。他力とは如来の本願力のこと。阿弥陀さまのはたらきは、アテにするものではなく、拠り所だからです。
 頼りない私だと悲しく思うのは、言葉を変えれば、何かできるハズだと思い込んでいたのです。私はアテにしてもらえる存在だ、他人のために何かできるハズだと。けれども現実は違います。慈悲の真似事ができたとしても、できることには限度があります。有限の存在である私が行う、有限の行為です。そのことがハッキリと思い知らされるのは、無限の存在に出遇った時です。お念仏によって、有限の私たちにとって「他」なる無限のはたらき(「力」)があることが思い起こされるのです。 念仏とは仏を念じる、仏を憑むということです。お念仏をいただき、気づかされるのは、自分をアテにしている私の姿です。
  (機関紙「ともしび」令和2年9月号より)

仏教あれこれ

「レジで妄想」の巻
 レジ袋の有料化が始まって、ほぼ二ヶ月が経ちました。
 当初は、ふらっと立ち寄ることの多いコンビニで、レジ袋をもらえない不便さに戸惑いを覚えましたが、今は、三円、五円の出費を考え、レジ袋をできるだけ買わずに済むよう、袋の常備を心がけています。
 結果として、政府のいう「普段何気なくもらっているレジ袋を有料化することで、それが本当に必要かを考えていただき、私たちのライフスタイルを見直すきっかけ」となっているのかな、と最近は思っています。
 でも、見直しはレジ袋だけ? この前、コンビニで弁当を買ったときに疑問が湧き、温めてもらっている間に、次第に妄想がふくらんできました。
「袋はどうされますか」
 それだけで終わらず、妄想での店員との会話はまだ続き、
「おしぼりはご入り用ですか」
「割り箸はご入り用ですか」
「爪楊枝もお付けしますか」
「しめて、レンジ代三円、おしぼり代三円、割り箸と爪楊枝代五円の計十一円をいただきます。それに、この時間帯は夜間料金で、商品は一割増しとなります」
 こうまでしないと、結局、ライフスタイルの見直しなどできないのでは。
 コンビニこそは便利生活のシンボルだ。便利さを求める欲望にきりはない。今日の環境問題のすべては、その便利生活のツケなんだなあ。
「チン!」
 自己満足の妄想の結末と弁当を手に店を出るこの私こそ、まことに調子のいい便利生活享受者の姿そのものでした。はい。
  (機関紙「ともしび」令和2年9月号より)

おときレシピ Vol.46「けんちん汁」

 「けんちん汁」という料理を耳にしたことがあるでしょう。神奈川県鎌倉市の建長寺の修行僧がつくっていた「建長汁」がなまってけんちん汁となったとも、中国語で「巻繊」や「巻煎」などと書き、ケンチャン・ケンチェンと呼ばれていたものが「けんちん」となったとも言われています。後者は、細かく切った野菜や豆腐を具にした料理だそうです。
 食文化が文字情報として記録されるようになったのは、ごく近年になってからです。それ以前は、その地方地方に口伝で伝わっていました。文字がなくても、記録ばいたいがなくても、愛され、大切にされてきた料理が数多く今に伝わっています。それはすなわち、私たちの先祖の体をつくってきた料理です。ご先祖様も食べた、しいと思った、子孫にも伝えたいと思った料理。そこにストーリーが肉づけされ、口伝で継承され、文字に残ったものが、今度はわたしたちの体をつくっています。
 料理をするとレシピばかりに目がいきがちですが、名前や由来を調べてみると、その後ろに連なるストーリーが想像できてロマンを感じますね。

大根…30g
人参…30g
ごぼう…20g
こんにゃく…30g
しいたけ…1枚
木綿豆腐…1/4丁
ごま油…大さじ1/2
昆布出汁…2カップ
醤油…大さじ1
酒…大さじ1
塩…少々
大根、人参はいちょう切りに、ごぼうはささがきに、こんにゃくはたんざくに、しいたけは細切りに切りそろえ、ごま油を引いた鍋に入れ中火でいためる。
全体がしんなりしてきたら塩を入れ、昆布出汁を入れ、手でちぎりながら木綿豆腐を加える。
沸騰直前で弱火にし、10分ほど煮てから醤油、酒を入れる。味見をして塩で味をととのえ、盛り付けをする。

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(ワンポイント)
 しっかりと油で炒めてから昆布出汁を入れることでコクも食感もぐっと良くなります。

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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。