常照我
 年の瀬十二月。今年も間もなく暮れる。例えるとそれは、夕陽が落ちた一日の終わり。
 ところで、朝陽との違いを絵や写真で見分けるのは難しい。夕陽だと思うと、しみじみとした気持ちになり、また反対に朝陽だと言われると、希望に満ちた始まりを感じる。自分の見方、受け止めが、いかにアテにならないものであるか、知らされるようだ。
 と、言いながら、つい年末の足音に人生を重ねてしまう。あと何度、年越しを迎えることができるのかと。自分の思い込みで「もう」と心が沈み、「まだ」だと顔を上げる。大事なのは、いのちの長短ではないはずだ。
 朝陽であっても、夕陽であっても、同じひとつの太陽だという事実があるように、いのちの事実に心を向けたい。
  (機関紙「ともしび」平成30年12月号 「常照我」より)

親鸞聖人のことば
濁世の起悪造罪は
暴風駛雨にことならず
諸仏これらをあわれみて
すすめて浄土に帰せしめり
『高僧和讃』(道綽讃)より(「佛光寺聖典」六一三頁)
【意訳】
 この世において人間がつくる悪や罪は、生活に爪痕を残す台風や、突然降り出す激しい雨に同じです。諸々の仏は、そのような私たちを哀れんで、浄土を依りどころとする生き方をすすめられるのです。
 今年は、全国的に地震や台風などの災害が多い年でした。
自分さえよければ…
 早くからお約束していた布教に出向させていただく日に、台風直撃というニュースが入ってきました。
 法座が開かれるのか、無事に到着できるのかと、あれこれと心配しましたが、時間の経過と共に台風が横道に逸れ、反対方向に向かっていったのです。
 「ああ、よかった、うまく逸れてくれて…」。
 法座も予定どおり開かれ、無事に勤めさせていただくことができました。
 しかし、どうでしょう。台風が逸れてくれてよかったと喜びはするものの、むこうの被害のことなど考えもしません。
 自分中心で、相手のことなどまったく考えることのないあり方が、暴風駛雨に同じであると教えられるのです。
確かな拠りどころ
 台風の影響は、各地に爪痕を残し、各地で停電も発生しました。
 平成七年に起きた阪神淡路大震災以降、人が生きるに必要な電気、ガス、水道をはじめとする、私たちの生活を支える命綱をライフラインといわれるようになりました。
 スイッチひとつで電気がつき、蛇口をひねれば水が出る。そうしたことが当たり前の生活の中にどっぷりとつかる私に、親鸞聖人のことばは、当たり前のことなど何ひとつとしてない、どのような境遇の中においても、そこから始まる道があると教えられます。上記のことばから、浄土を拠りどころとする生き方こそ、私たち真宗門徒の揺るぎないライフラインなのだと響いてきます。
  (機関紙「ともしび」平成30年12月号より)
仏教あれこれ
「油断大敵」の巻
 「今日は、昼に晩ごはんを、晩に昼ごはんを食べるから」。ある日の午前中にそう宣言した妻。いったいどういうこと?
 その日は、夕方以降に台風が来るとの予報でした。もし停電になると暗くて調理がしづらくなる。なので昼食には晩に作ろうとしていた「餃子と野菜炒め」を、夕食には昼に予定していた「サンドイッチ」をいただくとのこと……。
 今年はたくさんの台風が日本に上陸しました。私が暮らしている地域にも、九月に二つの台風がやって来ました。特に最初にやって来たのは直撃で、今までに経験したことがない突風が吹き荒れました。
 電柱が傾いたり、信号機が歪んだり、公園の木が根元から倒れたりと。恐ろしいと感じた初めての台風でした。
 「この辺りには台風が来ない」「来てもたいしたことはない」。私自身、その台風が来るまでは「油断」しきっていました。でも、それは見事に打ち破られたのでした。
 なので二番目に来た台風の直前には、冒頭のような停電への備えだけでなく、暴風や断水への対策も念入りに行いました。飛ばされそうなものは室内へ。浴槽に水を貯めておく。飲み物、食べ物を備えておく。
 しかし、この台風は直撃の予想からはずれたコースをたどり、風も雨も思っていたほどのものではありませんでした。
 翌朝、起床して妻と最初に交わした言葉は「今回は、たいしたことなかったなぁ」。
 このひと言が次への「油断」の始まりなのです。
  (機関紙「ともしび」平成30年12月号より)
おときレシピ Vol.29「アボカドと長芋のサラダ」

 今回の料理は長芋、トマト、アボカドと湯葉を使った和え物です。この4つの食材は日本に入ってきた時代が全て異なります。
 長芋には沢山の種類がありますが、長くさっくりとした食感のいわゆる「ナガイモ」は日本固有の種とされ、古来より私達の文化を彩っていました。
 湯葉は鎌倉時代にその製法が日本に伝わったとされています。トマトはコロンブスが新大陸から持ち帰ったもの。それがオランダ人によって日本に持ち込まれたと言われます。アボカドが日本で使われるようになったのは歴史が浅く、ここ数年ようやくスーパーに出回った来ました。
 このように原産国や歴史は異なる食材が、今この瞬間日本で一つのお料理として作られる。なんと奇跡のような出会いでしょうか。
 私達の毎日も実は同じような出会いの連続です。同じ時代に生まれ、同じ地域に暮らし、出会い、ともに時間を過ごす。広い世界、長い歴史を考えると本当に奇跡のようなご縁の積み重なりがそこにあります。そんなご縁を感じ、感謝しながら毎日を暮らしたいものです。
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(ワンポイント)
 長芋のぬめりが気になる方は酢にさらすといいでしょう。
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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。

 
			