2017年11月のともしび

常照我

 近年、節談説教、浪曲、落語等の語りが脚光を浴びている。
 以前、能楽師の方に親鸞聖人のご生涯を、本堂で語っていただいたことがある。
 うす暗くした堂内に、能管の音が静寂を破り、語りが始まる。そこには、青蓮院でのお得度の場面が広がり、比叡山でのご修行、さらには法然上人との出遇いへと導かれる。笛方がひとり、それ以外は何もない。それでいて、幾多の登場人物が現れ言葉を交わす。いつの間にか日は暮れ、風が吹き鳥も鳴き、臨場感が生まれる。
 語りは、遠く過ぎ去った過去を映し出すから不思議だ。
 今年も御正忌報恩講が勤まる季節を迎えた。読経、法話が聞こえてくる。そこに、宗祖の足跡と、聞き語り継いだ先達のすがたが見えてくる。
  (機関紙「ともしび」平成29年11月号 「常照我」より)

「山茶花」 撮影 藤宮 賢樹氏

仏教あれこれ

「流罪」の巻
 宗祖親鸞聖人のご生涯において、法然上人との出遇いと共に大きな転機として取り上げられる、越後への流罪。
 今や北海道から九州まで新幹線でつながり、飛行機を利用すれば、一~二時間で全国どこでも行ける時代です。京都から遠く離れた地へ流される、ということを、今の感覚で物理的に考えてしまうと、あまりピンときません。
 当時の流罪を現代に当てはめてみると、ひと昔前なら「テレビも新聞も電話もない状態」、最近なら「携帯の電波もインターネットも一切繋がらない状態」に閉じ込められることかなあと想像します。
 今は、どんな場所にいても、インターネットにさえ繋がれば、必要な最新情報にリアルタイムに触れられますし、遠く離れた家族や友人と交流することもできます。その便利さに慣れ過ぎていて、電波が届かなくなると、どんな都会のど真ん中にいても、まるで陸の孤島に隔絶された気分になります。
 先日、出先でスマートフォンを紛失してしまいました。全ての連絡先も、通話やメールやラインなどの連絡手段も、予約した新幹線や宿泊先の情報も、何もかも失った!と、目の前が真っ暗になりました。
 後から思えば、陸の孤島状態だったのはたいして長い期間ではなく、翌日には復旧できたのですが、あの瞬間の奈落へ突き落とされた感覚は忘れられません。
 スマートフォン依存と安易に対比はできませんが、あの状態が一時的でなく、何年にも渡って…と想像したら、流罪によって京都から切り離されることの厳しさが、改めて偲ばれた体験でした。
  (機関紙「ともしび」平成29年11月号より)

和讃に聞く

安養浄土の荘厳は
唯仏与仏の知見なり
究竟せること虚空にして
広大にして辺際なし

高僧和讃(『佛光寺聖典』六〇五頁 一二首)

【意訳】
 阿弥陀さまのお浄土は、私たちの思い、はからいを超えているので、仏智を具えた方でなくては知ることができず、また虚空が無限なように、広くてはてのない処であると、天親菩薩は『浄土論』で讃えておられます。

迷惑なら…
 昨今のお坊さんブームの影響か、先日、旅行会社からツアーの依頼がありました。参加者の方たちと一緒に町を歩き、要所要所で仏教のお話をするというものです。行程が詳しく書かれたパンフレットも用意されたこのツアー、申し込み開始と共に満員御礼となりました。
 ところが締切後に、申し込みをされた方から旅行会社に連絡がありました。介助者と一緒に申し込んだが足が不自由なので、迷惑なら断ってくれと仰るのです。
 さぁ、困りました。登山に行くわけではありませんが、行程のほとんどが徒歩での移動です。階段の昇り降りも多く、場所によっては靴を脱いだり履いたりもあります。正直、お断りしようかと思いましたが、楽しみにして申し込みされたことを思うと、心苦しく、それも出来ません。行程を変えようと思って、はたと気づきました。そもそもツアー自体が、元気に歩ける人を想定していたことに。元気な人を中心にすると、どうしても端っこを作ってしまいます。この場合でいえば、足の不自由な方を端っこに追いやってしまっていたのです。
迷惑を作る
 さて、インドの天親菩薩は著書『浄土論』で、お浄土を「広大にして辺際なし」と説いてくださったと、親鸞聖人はこの御和讃で受け止めておられます。広くて、はてがないとは、言葉を変えれば、どんな状態であっても、どんな状況に置かれても、決して端っこに追いやられることのない、皆それぞれが中心となる。それが阿弥陀さまのお浄土です。
 そう思うと、迷惑な存在などひとつもなく、ただ、迷惑だと思い込み、端っこを作っている私がいるだけなのです。それって悲しいですね。
  (機関紙「ともしび」平成29年11月号より)

おときレシピ Vol.18「いとこ煮」

 秋から春にかけて、真宗のお寺では報恩講が勤まります。報恩講では、親鸞聖人がお好きだったといわれるあずきを使った料理が振る舞われますが、定番のひとつが「いとこ煮」でしょう。
 地域によってかぼちゃとあずきや、さつま芋とかぼちゃとあずきなどの組み合わせなどがありますが、似たような野菜ばかりを煮るから「従兄弟煮」だとか、親鸞聖人のご遺徳をしのんでいただく「遺徳煮」がなまったものだという説もあるようです。

大根…60g
人参…1/4本
里芋…小4個(150g)
油揚げ…1/2枚
こんにゃく…1/4枚(50g)
水菜…ひと束
煮小豆…50g
水…1カップ
醤油…大さじ2
みりん…大さじ2
大根、人参の皮をき、食べやすい大きさに乱切りする。里芋は皮を剥き水にさらしておく。油揚げは湯通しし短冊に切る。こんにゃくは一口大に切る。
鍋に1の材料を入れ水を加え中火にかける。沸騰したら弱火にし、あくをとり、醤油とみりんを加え落し蓋をして具材がやわらかくなるまで煮る。
煮小豆を加え、さらに5分ほど煮て、食べやすい大きさに切った水菜と一緒に盛り付ける。

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(ワンポイント)
 おこうでお出しする料理ですから、お年寄りから子どもまでみなさんが食べやすいよう、しっかりと火を通してやわらかく炊き上げることがたいせつです。
 同時に食材の味わいを損なわない優しい味付けに整えることに気をつけましょう。

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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。