常照我
 雨は花の父母という言葉がある。恵みを浴びる田の稲も、やがて開く花を待つ。
 昔の人は、降り続く雨音に耳を傾け、五月雨、青葉雨、小糠雨と名をつけ楽しんだ。近頃は雨脚が強く、ゲリラ豪雨と物騒な名で呼ぶ。
 地球上の水は、氷、水、水蒸気と相を変え、空と陸と海とを往来する。山の降雨は、落葉に育まれたミネラルを海に運ぶ。河口ではプランクトンが溢れ、魚貝が群がる。さらに大きな魚も鳥も人も。海水は空へと吸い上がり、また雨となる。
 そんな循環を担う河川を、海の漁師が「川はいのちの大動脈」と言った。古代の人は、天も海も雨も「あま」と呼び、一つのものだと考えていた。
 言い尽くすことのできない、いのちのすがたを雨にみる。
  (機関紙「ともしび」平成29年7月号 「常照我」より)

仏教あれこれ
「のど元過ぎれば」の巻
 夕食のときに、ご飯がのどに引っかかるような気がしました。気のせいかと思い、ゆっくりと飲み込んでみますが、違和感があります。ぞっとしました。それは父が以前「ご飯が引っかかる」と言っていたからです。その後病院で食道ガンと診断され、手術をしたのですが再発、転移をして亡くなりました。
 父と同じ症状だ、と暗い気持ちになりました。妻と三人の子どもたちをおいて私が先立ったら、みんなどうなってしまうんだろう。二日後、三日後も、のどの違和感は変わらず、私は少し離れた隣町の内科医院に連絡をして、胃カメラの予約をしました。家族には内緒でした。
 当日、ベッドに上がり苦しい思いで胃カメラを飲み込んでいると「おやおや」とモニターを見ている先生がつぶやきます。「もうだめだ」と悪い予感に落ち込んでいると次の瞬間、先生が「まあ、大丈夫でしょう」とおっしゃいます。理解不能の状況で胃カメラが引き出されて行きます。
 先生の説明では、「びっくりするほど胃液が多く、食道炎から食道潰瘍になりかけていますが、薬でなんとかなるでしょう」とのことでした。病状が理解できてくると、まだ生きられそうだという喜びがあふれてきます。帰路、飛び上がりたいような気持ちの中で「家族を大事にしよう。自分のいのちを精一杯生きよう」と誓いました。
 いつしかその思いは薄れ、自分も家族も元気で過ごすことが当たり前のように錯覚して、毎日を過ごしてしまいます。しかし、今でもふとしたときにお念仏の響きの中に、あの日の思いがよみがえってくるのです。
  (機関紙「ともしび」平成29年7月号より)
和讃に聞く
一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
光明てらしてほがらかに
いたらぬところはさらになし
浄土和讃(『佛光寺聖典』五八七頁 四二首)
【意訳】
 一つ一つの蓮華からは、私をかけがえのないものとして
 生かそうとする光明を放ち、その光が至り届かない人はひとりとしていない。
 先日、テレビを見ていると、懐かしの歌謡曲を特集した番組が放映されていました。歌は不思議なものです、その頃に聞いたメロディ、歌詞は、いいも悪いも昔を思い起こさせる力があります。
 その中で、皆さんもよくご存知の「365歩のマーチ」が紹介されていました。水前寺清子さんの代表曲ですが、もう五十年近くも前の歌になります。
 子どもの頃から幾度となく耳にしてきた歌ですが、その中にある「あなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう」という歌詞が妙に耳に残りました。
どこで咲く
 お釈迦さまが歩かれた跡には、きれいな蓮の華が咲いたと伝えられています。若い頃、お釈迦さまを特別な存在として祀り上げるための作り話程度に思っていましたが、そうではありませんでした。
 蓮と言えば、泥沼に咲く清楚な華ですが、泥沼にこそ咲く華です。
 泥沼は私たちのいる娑婆世界をあらわし、その中にありながら泥に染まらず、流されず、きれいな華が咲くとはどういうことでしょうか。
今、ここに咲く
 さて、私たちが今日まで歩み来た道を振り返ってみると、辛かったことや悲しかったこと、思い出すだけでも涙の出ることや、腹の立つこともあるでしょう。
 ところが、その一切が実は今日の私になるための、かけがえのない出来事でもありました。
 あの辛かった出来事も、あの悲しかった出来事も、どこをとっても無駄なことなどひとつとしてなかったといただけるとき、歩み来た足跡に華が咲くのでしょう。
 自分の人生は誰とも代わることが出来ません。誰とも代わることの出来ない人生は、誰とも代わる必要のない、私しか生きることの出来ない人生です。
 教えによって、私の人生が華咲く道として開かれているのに、枯らしていくような歩みであるとしたら、せっかくのいのちが曇ります。
 あなたのつけた足あとには、きれいな華が咲いていますか?
  (機関紙「ともしび」平成29年7月号より)
おときレシピ Vol.14「万願寺とうがらしの揚げ酢びたし」

 お寺の料理は野菜が中心となり、自然と煮物が多くなり、脂分が不足しがちになります。夏になると火を扱うのが億劫になり、さらに油不足が顕著になります。そこで、適度な油分を摂りつつも、お酢を使ってあっさりと仕上げた万願寺とうがらしの揚げ酢びたしをご紹介します。
 万願寺とうがらしは、夏野菜らしく色合いも鮮やかな緑色。赤いパプリカなどと一緒に浸せば見た目にも楽しく作れます。
 夏野菜は水分を多く含んでいると同時に、はっきりとした色合いも特徴です。食欲が落ちがちなこの季節、色鮮やかな食材を用いることで、視覚からも食欲を刺激することが期待できるでしょう。
 食べるという、自分の体を作る基本的な行為だからこそ、それに真摯に向き合い、いかに美味しくいただくかを考えるとき、色彩も大切な食事の要素なのです。
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(ワンポイント)
 万願寺とうがらしを揚げるときはしっかりと楊枝で穴を開けないと油がはねてしまいます。
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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。

 
			