2016年04月のともしび

常照我

 世界の飢餓人口、約八億人。
 幼い頃、ニュース映像で見た栄養失調のアフリカの子どもの姿は衝撃的だった。偏食だった私は「このお皿の人参やピーマンを、あの子の元に届けられたらいいのに」と思ったものだ。
 食糧難にあえぐ人たちがいる一方で、日本では、年間何百万トンもの可食食品が廃棄されているという。それは、美食を貪り、同時に手軽さを求め、流通経路のそこかしこに余剰に溜め込んでは捨てている、私たちが生み出している歪みだ。
 即効性はないかもしれない。だがまずは「いただきます」と声に出し、一つ一つのいのちの恵みに感謝しよう。食べるとは、単に味覚の欲望を満たすことではなく、他の生物のいのちをいただいて、自らのいのちを繋ぐことなのだから。
  (機関紙「ともしび」平成28年5月号 「常照我」より)

「桜」 撮影 中山 知子氏

仏教あれこれ

 知り合いののお宅におじゃましたときのこと。おじいちゃんが目をぎろぎろさせて怒っておられます。数年前にわずらった病気のために、半身にまひが残っていますが、まだまだ意気軒昂な方です。
 「おれの治療やリハビリの計画が、おれに相談もなく、いつのまにか決められていたんだ。決めたことをおれに伝えるのは後回し。雰囲気で薄々察してはいたけど、知らされたのはリハビリ直前だ。おかしいと思う。おれのことなのに、おれに伝えるのが最後なんだ」
 お話をお聞きして私は、はっとしました。自分以外の誰かがある日、病気や障害を背負ってしまった瞬間、私たちはその人を「一人前」に扱わなくなって、周りが代わりにやってあげることがその人のためなのだと、無意識に思い込んでしまうのではないでしょうか。私自身もそんなことをやってきた覚えがあります。いったいだれがいのちの主人公なのでしょうか?
 ノーマライゼーションという現在の社会福祉の基礎にある考え方があります。障害のある人も病気の人も高齢者も、共に同じ社会の中で、隔離されず差別されず、普通(ノーマル)の生活ができるようにするということですが、なかなか浸透しないのは何故でしょうか?
 「いのちの平等性」とすべて解っているように語りながらも、「生老病死」の中で生きている、自分以外の他の人のいのちを、見下ろし、差別し、しかもそれを愚かにも優しさと勘違いをして気付かない、私たちの変わらぬ姿があるからでしょうか?
  (機関紙「ともしび」平成28年4月号より)

和讃に聞く

尊者阿難座よりたち
世尊の威光を瞻仰し
生希有心とおどろかし
未曾見とあやしみし

浄土和讃(『佛光寺聖典』五八九頁 五十一首)

【意訳】
 阿難尊者は自ら席を立ち、釈尊の光り耀くお姿を仰ぎ見て、その仏の特徴を具えられた希にみる瑞相に驚き、私は未だかつてこのようなお姿の釈尊に出遇ったことはないと不思議に思いました。

 毎年比叡山延暦寺の西塔地域で開催される「桜まつり」の期間中、通常は非公開である常行堂の中に入ることができます。
宗祖のご修行
 蝋燭の灯りのみの薄暗い堂内には、中央に阿弥陀如来像が安置され、その周囲を歩いて周れるようになっています。
 親鸞聖人は比叡山でのご修行中、常行堂の堂僧として従事されました。そこでは九十日間ひとり堂内にこもり、お念仏を称え、休むことなく阿弥陀如来の周りを歩き続ける修行を続けられたといいます。
 しかし、修行を断念し、山を下りられた宗祖はそこで、師となる法然上人の導きにより、『仏説無量寿経』に説かれるお念仏の教えに出遇われたのです。
阿難の出遇い
 お釈迦さまの側に常に従い、最も良く教えを聞いたとされる阿難。しかし、お釈迦さまのご入滅の様子を描いた涅槃図では、その死を道理として引き受けられず、悲しさのあまり失神する凡夫として描かれます。
 『仏説無量寿経』は、凡夫である阿難の為にこそ説かれた教えです。尊者阿難の驚きは、今まで他人ごとでしかなかったお釈迦さまの教えが、初めて我が身の事実として響いてきたことへの驚きなのでしょう。
 私はといえば、聞くからには何かを掴み取ろうと躍起になり、教えでさえも我がものにしようとする。それは、せっかく届いている教えに、耳を塞ぐ姿に外なりません。
 教えをあなたの我がこととして、あなたの身に響かせたいという阿弥陀さまの願いが、常に「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私にはたらき続けてくださるのです。
  (機関紙「ともしび」平成28年4月号より)

おときレシピ Vol.2「ウドと苺と果物のサラダ」

 料理の世界では「ほうに病なし」と言われますように、地元の食材を使うのが健康にもよいとされています。
 しかし、都会では周囲に畑もなくなり、四里四方で作られるものが多くありません。その中でも今月は、自坊の近くで作られているうどと苺、その他、果物でサラダを作りました。
 みなさまも、お料理に地元の食材を取り入れて、工夫されてみてはいかがでしょうか?

うど…100g
苺…3個
キウイ…1個
グレープフルーツ…少々
【 ドレッシング 】
サラダ油…大さじ1.5
酢…大さじ1
塩…少々
白コショウ…少々
ドレッシングの材料をボウルに入れ、塩がけるまでよく混ぜる。
うどは皮をむき、短冊切りに切りそろえ、酢水(分量外)につけておく。
キウイ、グレープフルーツは皮をむき、苺とともに食べやすい大きさに切る。
2と3の水気を切り、1のボウルに入れてよく和え、盛り付ける。

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(ワンポイント)
 ウドは空気に触れると色が黒ずみ、見た目も悪くなるので切ったらすぐに酢水につけるといいでしょう。
 フルーツはわざわざ買わなくても、あるものを使ってかまいません。フルーツにかぎらず好みの野菜でもおいしくいただけます。

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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。