常照我
 八月の風物詩、お盆休みの帰省ラッシュ。新幹線の乗車率は一〇〇%を超え、高速道路では何十キロもの渋滞。
 お盆という伝統的風習に基づく行動だが、生まれた村で一生を終える人が大多数だった時代には、帰省ラッシュはなかっただろう。高度経済成長を経て、地元を離れ都市部で働く人が急増し、長距離移動の交通網が発達した現代ならではの光景だ。
 なぜ、お盆に帰郷するのか。お墓参りのため?家族や親類が一堂に会すから?
 親元を離れて新しく居を構えた世帯では、家にお内仏がないことも実際多かろう。そんな者にとっては、ご本尊に手を合わせる大切な機会となる。
 さあ、阿弥陀さまと対面し、普段見過ごしがちな自分の内面にしっかり向き合おう。
  (機関紙「ともしび」平成28年8月号 「常照我」より)

仏教あれこれ
「どこでもドア」の巻
 先日、東京のある寺院で布教させていただきました。同じ日には地元大阪で、娘が通う中学校のPTA会議もあったのですが、時間的に参加することは不可能でした。
 当日の朝、ふと時計を見ると午前9時前。大阪ではそろそろPTA会議の始まる時刻です。布教の開始は10時半からだったので時計の針を見ながらこう思いました。
 「もしここに、ドラえもんの『どこでもドア』があれば、会議に出たあとで、布教もできたのに」と。しかし現実問題として「どこでもドア」なんて存在しません。
 でも、よくよく考えてみると「どこでもドア」に近いものは存在しているのではないかと。
 新大阪駅で乗った新幹線、ドアを入り2時間半後、そのドアを出ると、そこは東京駅。瞬間移動ではありませんが「どこでもドア」に近いものがあります。
 大阪―東京間、ひと昔前なら新幹線でも3時間10分、新幹線のない頃なら9時間、列車のない時代なら徒歩で2週間はかかっていました。しかし今では日帰りで東京出張も可能です。それを考えると「どこでもドア」に近づいているのは事実です。
 しかし私たちの心は決して満足できません。一度は満たされても、しだいにそれが当たり前に。
 もっと早く、もっと便利にと、限りがないのが私たちの欲望。たとえリニア新幹線ができようとも、さらに早い乗り物ができようとも、もし「どこでもドア」があったとしても……。
 布教前の待ち時間、時計を眺めながらそんなことを考えていた朝のひと時でした。
  (機関紙「ともしび」平成28年8月号より)
和讃に聞く
超日月光この身には
念仏三昧おしえしむ
十方の如来は衆生を
一子のごとく憐念す
浄土和讃(『佛光寺聖典』五九八頁 九九首)
【意訳】
 超日月光と名づけられた阿弥陀仏は、この私の身に、お念仏のお心を教えて下さいました。それは、十方のあらゆる如来が一切衆生を、まるで「一子」のように憐れみ、寄り添い続けるおすがたなのです。
 二十年以上前、中学校の教員をしていたときのことです。
ほっといてよ
 ある女子生徒が、短い家出を繰り返すようになりました。ひとりっ子で母子家庭でしたが、生徒は「お母さんがきらい。ほっといてよ」が口癖です。
 何回目かの家出のとき、夜遅くまで学校で仕事をしていると、家出の本人が、ひょっこりと職員室の窓から顔を出しました。Vサインをしてから、隣にある公園に逃げて行きます。教員みんなでそれっと追いかけると、樹木の暗がりの中に見失ってしまいました。「あきらめていったん学校に戻ろう」と話していると、少し離れた外灯の光の下にその子が姿をあらわし、また鬼ごっこのくりかえしです。
一子のごとく
 やっとのことでつかまえると、「離せー」と大騒ぎです。
 でもその言葉とは裏腹に、とてもうれしそうな表情なのです。つかまえられていることを喜んでいるように見えました。
 あとで聞くと、お母さんはわが子を真っ当に育てたいあまり、小さい頃から体罰をして、きびしく育ててきたようでした。母親役と父親役の両方をつとめようとしていたのかもしれません。
 思春期になった娘の方は、今までのストレスを全身で吐き出そうとしていました。「わたしを認めて!」という悲鳴が聞こえてくるようでした。
 ともすれば私たちの親心は、子どもに「一番」を求める心だったり、自分が立派な親として認められたい心だったりします。
 他と比べることのない「一子」として無条件で私が認められ、願われている世界があります。如来のはたらきは、私の生きる力を深く喚びさますのです。
  (機関紙「ともしび」平成28年8月号より)
おときレシピ Vol.5「冬瓜の梅炊き」

 夏の野菜でありながら冬の文字が入る冬瓜。冬まで貯蔵できることからその名がついたとか。
 今回ご紹介するのは、あっさりして癖の少ない冬瓜に爽やかな毎年お寺で漬けている梅の味わいを合わせた冬瓜の梅炊きです。癖がないゆえに他の食材とぶつかることなく、梅干しのような強い味もすっと受け入れるのが冬瓜の持ち味。
 私たち僧侶の衣は白と黒。何にも染まる白と、何にも染まらない黒(墨)。冬瓜はまさに白の役割の野菜です。
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(ワンポイント)
 冬瓜には薄く柔らかい皮の下に硬い皮があるのでそこまで丁寧に剥きます。剥きすぎると、涼やかな翡翠色がなくなってしまうので気をつけましょう。
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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。

