2021年08月のともしび

常照我

 戦争体験や戦中戦後の生活の様子を、法要の折などに、おじいさんやおばあさんによく聞かせてもらいました。でも、コロナ禍の今は、お話を伺える機会はほとんどなくなりました。
 現代は知識に溢れており、ネットを使えば、何でもすぐに調べることができます。先の大戦での戦没者数や被害状況等も簡単に知ることができます。求める知識を容易に得ることのできる便利な世の中です。
 でも、顔を合わせてその方の息づかいを感じながら伺うお話は、血の通う特別なものです。語られる一言一言を通して、単なる知識以上の大切な思いや願いが私の心に伝わってきます。
 これは、聞法にも通じることだと思います。聴聞する大切な有縁の場が一日でも早く元に戻ることを願ってやみません。
  (機関紙「ともしび」令和3年8月号 「常照我」より)

「ウミガメ」 撮影 西表島ウォーターマン 徳岡大之さん

親鸞聖人のことば

悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる

『正像末和讃』より(「佛光寺聖典」六四三頁)

【意訳】
 私自身に備わっている悪い本性は消えてなくなることがありません。それは毒を常に持っているヘビやサソリにたとえられます。
 したがって、よかれと思ってしている行動であっても、縁によって自分本位の毒を出し、他人を傷つけるような痛ましい生き方をしてしまうのが私の本当の姿なのです。

 新型コロナウイルス感染症を終息させる切り札になると思われるワクチン接種。高齢で認知症の母に接種券が届いたので、さっそく予約をしました。
 車イスでの移動が必要な母を、会場まで私が車で送り、そこからは妻が連れて行きました。

コロナ禍で
 車で待つ間、いろいろなことが頭をよぎりました。
 「これで感染のリスクはかなり下がりひと安心。でも、高齢のゆえ、何が起こるかは分からない。今、万が一のことがあった場合、葬儀をどのように執り進めて行けばいいのか」
 このコロナ禍、葬儀のあり方も変わってきました。密を避けるために、参詣者を調整したり、座る間隔を広げたりと。
 「本堂で執り行う通夜・葬儀は、人数的にも制限があるので近しい親族だけしか参列できない。その他の親戚、寺院関係、友人は毎週の中陰のときに分散して来ていただくように案内する。お勤めは近隣住職の方々に交代で来ていただく。飲食を伴わないような時間帯に執り行う」
 考えを巡らした結果、皆さんに失礼がなく、なおかつ感染症対策が講じられる最善の方法が見つかったような気がしました。
本当の私
 一時間ほどして、母が戻ってきました。接種したことを分かってはいないと思うのですが、安堵感が漂っているような表情にも見えたのです。
 その母と目が合ったとき、背筋が凍りつきました。なぜなら葬儀の段取りを、心の中で進めていた私がここにいたからです。
 よかれと思い、考えていたことですが、心で人を傷つけるような痛ましい生き方をしていただけだったのでした。
  (機関紙「ともしび」令和3年8月号より)

仏教あれこれ

「阿弥陀経の風景」の巻
 四月、奈良県にある法隆寺で聖徳太子一四〇〇回忌法要が盛大に営まれました。
 当日、法隆寺の周りでは雅楽が鳴り響くなか、仮装した獅子、菩薩、その後を僧侶、御輿の行列が町なかを練り歩きました。やがて、法要が営まれる大講堂の前に到着し入堂しました。
 行列の最後尾には、長刀を持った僧兵がいて、伽藍の周りに配置されました。理由は、法要の無事を祈るためだと聞かされました。
 その後、法螺貝の大きな音を合図にして、雅楽と舞いが演目を変え次々に披露されました。
 そのなかでも『阿弥陀経』に登場する迦陵頻伽という上半身が人で、下半身が鳥のすがたをした舞いが人々を魅了しました。
 奈良時代に伝わったインド系の舞いで、お釈迦さまを供養する日に、極楽浄土から飛んで来て舞ったというお話をもとに作られたと説明がありました。
 境内に雅楽が鳴り響き、舞台中央に置かれた大きな火炎太鼓の周りを、縦横無尽に飛び交う迦陵頻伽のすがたに、『阿弥陀経』に説かれている極楽浄土の風景を見ることができました。
 それはまるで、苦悩を生きる私たちへの誘いのように見えました。その後、高座から読経があり、再び法螺貝が鳴り響くと、ご一行が大講堂から退堂され法要が終わりました。
 コロナ禍で、終息が見えない日々を過ごすなか、ひと時『阿弥陀経』の風景を感じることで、私たちにかけられた願いは、いつの時代も変わらぬことを教えられました。
  (機関紙「ともしび」令和3年8月号より)

おときレシピ Vol.55「茄子の利休汁」

 きゅうじるという名の由来はかの千利休。利休がたいそうな好きだったことから、胡麻を使ったしるものを「利休汁」と呼ぶようになったそうです。
 人の名前や地域の名前が食材や料理の名前に用いられる例は少なくありません。有名なところでは、さつまいもを指す「丸十(まるじゅう。名産地・薩摩藩の家紋が丸に十字だったことから)」や、アサリのみご飯をふかがわめしと呼んだりなどが挙げられます。また、もはや通り名ではなく地域の名前が食材の名称そのものに取って代わったものとしては、貝の「あおやぎ(もとはバカ貝と呼ばれていたが、千葉県の青柳村が特産だったことから青柳と呼ばれた)」などの例もあります。
 それにしても、胡麻という、どこでもちょうほうされるものに名を残すあたり、「千利休」というネームバリュー、すなわち人物の偉大さに改めて感じ入るものです。

昆布だし…400㏄(2カップ)
なす…1本
白すり胡麻…5g(小さじ1)
みそ…15g(大さじ1)
サラダ油…適量
鍋に昆布だしを入れ、中火にかける。ふっとう直前で火を消してみそを溶く。
なすは輪切りにして飾り包丁を入れ、水にさらしアクを抜く。
フライパンに油を熱し、水気を拭いたなすの両面を焼く。
フライパンに油を熱し、水気を拭いたなすの両面を焼く。

(ワンポイント)
 茄子を切るときは鉄の包丁ではなくステンレスのほうが色が変わりにくいですよ。

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【監修】青江覚峰
 一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
 カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。