常照我
今夏、本堂のクーラーがついに動かなくなった。今の本堂が建った約四十年前に設置されたものだ。今となっては時代遅れの図体に、似つかわしくない控えめな冷風。業者から渡された見積りに少しひるんだが、買い替えることに決めた。
搬入日当日、役目を終えた大きなクーラーの搬出を、母と共に玄関で見送っていると「ナマンダブ ナマンダブ……」。目を閉じた母が手を合わせていた。
それは当時、夏でも皆がお参りしやすいよう、多くのご門徒の願いから寄進されたものであった。先に浄土へと歩まれた方々の面影とその願いに、思わず母は手を合わせたのだろう。
ほどよく冷やされた本堂へと戻る。新しいクーラーの冷風に満足するばかりであった私を、阿弥陀さまが見つめていた。
(機関紙「ともしび」令和4年9月号 「常照我」より)

親鸞聖人のことば
浄土真宗は、
在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうなり
『顕浄土真実教行証文類』(化身土・本)より(「佛光寺聖典」三六九頁)
【意訳】
浄土真宗は、お釈迦さまが在世の時代も亡くなった後の正法の時代も、像法の時代も末法の時代も、それから法滅の時代になっても成り立つ仏道で、どんな者も皆、阿弥陀さまによって斉しく救われていくのです。
私たちの「みんな」
先日、友人が言っていました。家族みんなで旅行に行くことになり計画を立てていると、子どもたちは同居の祖父母も一緒に行くと思っている。片や自分は、義父母は留守番だと思い込んでいて、ドキッとさせられたと。
何気なく使っていますが、「みんな」という言葉には注意が必要です。例えば「みんなでご飯に行こう」の「みんな」は、その場に実際にいる人たちだけなのか、はたまた、そこにはいないけれども関係のある人たちをも含むのか。
「みんなで」と言っても、それは健康な人だけ? 大人だけ? 私たちが言う「みんな」は、実は選ばれた人だけなのです。
仏さまの「みんな」
親鸞聖人が出遇われたのは、時代も、どういう状況にある者をも分け隔てしない教えでした。それを具体的に、「濁悪の群萌」という絶対に救われないであろう者たちをも「斉しく」救う、ということで表してくださったのです。選ばれた人だけではない、本当の「みんな」です。言い換えると、「私も」ということです。お釈迦さまに直接お会いすることができないだけでなく、修行もできないし、何なら「みんな」と言いながら、人の選り好みをしているこの私をも救うという教えです。
私たちにとっては常識ともいえる、自分自身や自分の努力を根拠とする教えは、出来る人と出来ない人といった、人の選びを生みます。その結果、誰の上にも成り立たなくなります。それに対して、私たちの常識からは出てこない「斉しさ」を宗としていく教えは、時を選ばず、人をも選ばず、誰の上にも成り立つ仏教なのです。
(機関紙「ともしび」令和4年9月号より)
仏教あれこれ
「マスクがはずせない?」の巻
コロナ禍の当初、私は息苦しい、耳の後ろが痛いとマスク着用を嫌っていました。マスクを付け忘れ店内で注意を受けることもたびたびありました。
ところがこの頃は、まるで身なりを整えるかのようにマスクの位置や汚れなどを気にするようになっているのです。ふとそんな自分が気になり、先日マスクを外して過ごしてみました。
その日は休日で、お寺には次々とお参りにいらっしゃいました。マスクをつけていませんので、距離をとってあいさつを交わしました。すると、なぜか恥ずかしさを感じるのです。まるで服を着ていないような、いや心の奥までも見られているような気持になるのです。あれ、もしかしたら私はマスク依存症になっているのではと不安を覚えました。
本来マスクには「仮装」という意味があるそうです。仮装は仮面でもあります。子どもの頃、お祭りの出店では戦隊ヒーロー、可愛らしいキャラクターのセルロイド製の仮面が売られていました。また、おかめ、ひょっとこの仮面を付けた踊りを見たこともあります。伝統芸能の能も、面をつけ演じています。私たちは仮面により、そのものに成りきり演じることができるのです。
私は息苦しさも、耳の後ろの痛みにも慣れ、常に忘れずマスクを着用するようになりました。ある時マスクには「ごまかす」という意味もあったことを知ったのです。そうか、私はコロナ対策だけではなく何か自分をごまかし、いままでと違う姿に成ろうとしているのかと気づかされたのです。このままではダメだと思いつつ、気づけば鏡の前でマスクを整え、目の前のマスクの残量に安心していたのでした。
(機関紙「ともしび」令和4年9月号より)
おときレシピ Vol.66「湯葉と青菜のすりながし」

湯葉は、畑のお肉と呼ばれる大豆からつくられています。良質な植物性たんぱく質や食物繊維が多く含まれていることは言わずもがな、ビタミンB群、カルシウム、カリウム、マグネシウムなどのミネラルも豊富。
食欲の落ちがちな暑い時期、とろりと柔らかな舌触りや、飲むようにつるりとした喉ごしで栄養補給できるありがたい食品です。
さて今回ご紹介するのは、そんな湯葉を彩りも鮮やかなほうれん草と合わせ、さらに豆乳を加えてスープ仕立てにした一品です。
材料をすべてミキサーにかけ、冷蔵庫で冷やすだけという調理のお手軽さでも、暑さで台所仕事がきついこの時期に活躍してくれること間違いなし。さらに味付けを濃い目に整えれば、素麺のつゆとしても活用できます。
夏の定番の素麺も、いつもと一味違った楽しみ方ができるでしょう。簡単につくれて栄養豊富な一品で酷暑を乗り切ってください。
(ワンポイント)
使う青菜は、ほうれん草でなくても構いません。味と色味で調整してください。
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【監修】青江覚峰
一九七七年、東京浅草生。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。
カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。NHKをはじめテレビ、新聞などメディア出演も多数。